ディーノ 206を生み出したカー・デザインの巨匠にインタビュー

Photography: Piotr Jablonski



数々の業績の中でも、ブロヴァローネが最高作と語るのは「ディーノ・206」だ。「ディーノ」は、フェラーリの創業者エンツォ・フェラーリが、24歳で夭折した長男の愛称を冠したブランドで、創案も長期にわたった。

「私のオリジナルのアイディアは、もっと急進的なものでした」
「1965年に、私はワンオフのディーノ・ベルリネッタ・スペチアーレを手がけ、このクルマは最終的に量産車となりました。元のデザインは側面のカーブをもっと際立たせたもので、後に、今でも大切な友人であるレオナルド・フィオラヴァンティが変更を加えました」

「最初にあのデザインを起草した際にはフェラーリのクルマになると思っていたので、楕円形の
グリルなど、フェラーリに特徴的な要素を盛り込んでいました。しかしエンツォ・フェラーリが、あのクルマにはあのクルマならではの独自のデザイン要素が必要だと言ったのです。おかげで私自身のアイディアを表現できる幅がおおいに広がり、独自性を推し進めることができました

「今でも、あのクルマに関われたことを誇らしく思っています。おそらく、私が手がけた中でも最高作でしょう」

1975年、ブロヴァローネはスタジオ・チーフに昇進した。「私の責任は重くなったのですが、描く時間は減ってしまいました。かわりに、プロジェクトをコーディネートするようになりましたが、これは創造性に報いる業務ではありませんでした。」ピニンファリーナで手がけた最終タスクは、後にフェラーリF40 となったプロジェクトの総括だったという。

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1988年1月にピニンファリーナを引退してからも、彼の辞書に「引退」は無かった。さまざまな会社へのコンサルタントを手がけ、中でも、スタジオトリノを立ち上げたアルフレッド・ストラとのプロジェクトであるアバルト・モノティーポ・クーペは、最後のトリノ・ショー(2000年)にも出展されている。

「(アルフレッドは)コンセプト・カーをデザインするために、私を起用しました。当初は、実製造まで実現させる意図はまったくありませんでした」

「しかし彼はスタジオトリノを立ち上
げる際に、いくつかの図面を実製造しようと私にもちかけてくれたのです」初めてのクルマを手がけてから56年を経て、ブロヴァローネは最新作をデザインし、これは驚くべき偉業となった

彼の華麗な業績を眺めながら、一番気に入っているデザインを尋ねると、「どれも大好きだよ!」と答えてくれた。

暖かみにあふれ、フレンドリーで、それでいて痛烈なユーモア・センスを光らせながら、ブロヴァローネが尋ねる。

「このインタビューは、いつ出版されるのかね?記事を読めるくらいの長さは、生きておかなくてはね」
どうやらこの非凡な御仁は、今でも芸術的な感性を鍛え続けているようだ。

Words: Richard Heseltine  抄訳:フルパッケージ Transcreation: Full Package

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