「まともな考え方ではとてもやっていけない」│ミラノが生んだ芸術 ザガートが選ぶトップ10

Portrait:Mark Dixon

イタリアンカロッツェリア、ザガートの歴史はほぼ一世紀に及ぶ。多くのライバルが姿を消していく中で、彼らはどのようにして生き延びてきたのか。そしてアンドレア・ザガートが選ぶ、トップ10モデルとは何か?

「まともな考え方ではとてもやっていけない」と、アンドレア・ザガートは、イタリアでデザインとコーチビルディング・ビジネスを経営するのに必要な条件を、実に明るく説明してくれた。
 
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「すべてがきちんと秩序立っているドイツや英国
のような国ではシンプルに仕事をすればいい。ところがイタリアでは、つまらない問題を解決したり、官僚主義と折り合いをつけたりすることにずっと多くの時間を費やさねばならない。それでも私たちは引っ越しを考えたことはない。ザガートはイタリアに、ミラノに本拠地を置かなければならない。ミラノはヨーロッパのデザインとファッションの首都であり、私たちの故郷なんだ」その言葉通り、1919年の創業以来ずっとザガートはミラノにある。

「ザガートは私の祖父のウーゴが創業したカロッツェリアだ。彼はエットーレ・ブガッティやヴィットリオ・ヤーノなど、今や伝説的なエンジニアやデザイナーと友人で、仕事のクォリティとエレガントなデザインで知られるようになった。その息子、つまり私の父のエリオは、丸みを帯びた形やダブルバブルルーフなど、ザガートの特徴的なスタイルを生み出した。1950年代には自らもレーシングドライバーだった私の父は、いわゆるジェントルマンドライバーのために、ウィークデイは一般道で、そして週末にはレースにも使える車を製作していた」

「1950年代のザガート車は非常に軽量でスマー
トなボディと、簡潔だがエレガントなインテリアを備えていた。1960年代になると父は会社を単なるカロッツェリアから工業化されたメーカーへと作り変えた。ちょうどランチア・フルヴィア・スポルトを"量産"していた頃だ。問題はライバル同様、私たちは巨大メーカーに翻弄される立場にあったことだ」

「たとえばマーケティング担当者がやって来てこれこれのように車をデザインせよと告げる。またはフィアットの誰かが値段を上げれば売り上げは落ち込み、結局従業員たちの仕事がなくなる。朝、目覚める度に1000人の雇用をどうしたものかと考え、生産機械の投資に頭を悩ませる。そうして多くの由緒あるイタリアのコーチビルダーが1970年代を生き延びることができなかった。私たちにとっても苦難の時代だった」

ザガートはとにかく売り上げになるものなら何でも、それこそトラック・キャブから二輪車用ヘルメットまで手を広げてその苦境を乗り越えた。

「私は3世代目に当たるが、自動車産業は父の頃とはまったく違う。大学を卒業して家業に加わった私はCAD/CAM技術を導入し、自動車以外の輸送機器や農業用機械などにデザインビジネスを拡大しようとした。ちょうどその頃アルファロメオES30 "SZ" を作っていたが、それがザガートにとって最後の量産モデルとなった」

「ザガートはほぼ100年の歴史を持ち、ミニやブガッティ、ACからランボルギーニまであらゆるブランドと仕事をしてきた。その伝統が現在の仕事に役立っていることは間違いない。今ではシャシーにボディをただ載せるというわけにはいかない。大メーカーは彼らのブランドを守ることに神経質だから、密接な協力関係を築かなければならない。ザガートの名を冠した特別なモデルはごく少数に限られ、たとえば6台のみのフェラーリ575GTZのようにたちまちコレクターズモデルとなる」

星の数ほどあるザガートの傑作の中から、あえて個人的なベスト10台を選ぶとしたらどれにする、と訊ねてみた。
「これまでに何百台も作ってきた中から、たった10台に絞れということがそもそも無理な話だ」と言いながらも、現当主のアンドレアがじっくりと考えた末に選んでくれ、その理由を語った。

「くどいようだが、
これはまったく個人的な10台で、その中で順位をつけることはできないんだが…」


編集翻訳:高平 高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA Words:Richard Heseltine 

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