ロードスターとして使用されていたブガッティ・タイプ51の再生物語

Photography: Matthew Howell Archive Photographs: Adriano Cimarosti

フランスの女性ドライバー、アン・セシル・イティエはブガッティ・タイプ51グランプリカーでの成功で知られている。しかし、彼女が駆ったグランプリカーは一時期ロードスターとして愛用されていた頃があった。そして、その二面性までもレストアしようとするプロジェクトが完成した。

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嫉妬深い男たちは、彼女を"動くシケイン"だと揶揄した。しかし、この小柄で赤毛のアンヌ・セシル・イティエは、タイプ51ブガッティを運転するライバルたちより一枚上手だった。そしてライバルよりはるかに長いレースキャリアを築いた。彼女の愛用したこのヴィンテージ・レーシングカーは、そこに宿るまったく異なった二つの性質を巧みにレストアすることを目的に作業が進められた。これは彼女とブガッティの驚くべき物語である。

アン・イティエは離婚をきっかけに31歳でモータースポーツの世界へ足を踏み入れた。はじめに挑戦したのは当時の女性には珍しかったスポーツ、飛行機の操縦である。自動車での競争に臨んだのは1926年のことだ。パリ〜ニース・ラリーにブラジエ(訳註:フランスの自動車メーカー、1897〜1930年に生産)で出場し、ブラジエのデザイナーであったシェニョーをも破り、総合6位、アマチュアクラスの2位という成績を収めた。2年後の1928年、キャトル・パヴィオン・サーキットで行われたボルドー・グランプリでは、シマ・ヴィオレ2ストローク・サイクルカーを駆り、500㏄クラスで優勝。この頃にはイティエは真剣に車にのめり込んでいた。同じ年、彼女はモンレリーで行われたラリー・フェミニンで優勝、ラ・モット・サン・テレのヒルクライムではT37ブガッティで最初にゴールし、1分6秒の新記録を樹立した。



イティエは1930年に離婚調停が決着したようだ。記録によれば、パリのチュイルリー公園を見下ろすアパートへ引っ越したうえ、ボルドーの真南にあるリゾート地、カップブルトンに、彼女がル・ボラン、つまりステアリングホイールと名付けた別荘を購入したからである(ここは1971年まで所有していた)。 さらに、彼女は非常に強力な4気筒過給器付きのT37Aブガッティ(シャシーNo.37365)を手に入れた。だが2シーズン後には、次第にT37Aはライバルから大きく水をあけられるようになっていった。1932年9月にブルノのマサリク・サーキットで開催された1500ccクラスのレースで、わずか2周した後にギアボックスにトラブルが発生してしまった。

そこでT37Aは4万フランの価格で下取りに出され、1933年3月にはT51A(DOHC8気筒1500㏄)の請求書6万フランがイティエに送られた。「この価格は、新型タイプ49のシャシーの値段程度」だと、アン・イティエのT51の歴史を調査したブガッティの歴史家ピエール・イヴ・ロージエは指摘している。

この車こそ彼女を有名にし、そして注目すべき21世紀の復活劇の主人公となるモデルだ。アン・イティエの"新しい" T51(51142)は、実際には古い瓶に詰められた新しいワインのごとく、新旧寄せ集められたものだった。シャシーは1926年にNo.4827として生産され、ブリクストン・ロードにあったブガッティのロンドン・エージェント、カーネル・ソレルにタイプ35C(2.0ℓ)としてデリバリーされた。記録をひもとくと、ブガッティの工場へ改装のために2回戻されており、オリジナルのエンジン(No.93)はT51ツインカムユニットに変換され、ナンバーはNo.3へと変更されていた。

編集翻訳:崎山知佳子(office Sky M) Transcreation: Chikako SAKIYAMA (office Sky M) Words: David Burgess-Wise  

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