1400台のフィアット チンクエチェントがイタリアに大集合!

Photography Max:Serra

2019年はアバルトが70周年を迎えるが、2017年にはチンクエチェントが60周年を迎えた。マッシモ・デルボが自身の500でイタリアを走り、3000人のファンが集う特別なイベントに参加した。ふとしたきっかけで真理に気づくことがある。アイザック・ニュートンは、リンゴが木から落ちるのを見て万有引力の法則を導き出した。私の場合は、アウディのドライバーが私のフィアット500に合わせて減速したことだった。

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そのとき私はトラックを追い抜こうと四苦八苦していた。後ろからアウディが高速で迫ってくるのが見えたので、ライトや警笛で煽られるものと覚悟した。ところが、迫ってきたアウディは、私の速度に合わせて減速すると礼儀正しく車間距離を取り、おとなしくついてくるのだ。見ると、運転席と助手席に座る中年の二人が、私の車を指さしている。

予想以上に手間取ってようやくトラックを抜いた私は、言い訳に「これ以上は速く走れないんだ」とリアウィンドウ越しに手で合図した。すると(これぞイタリア人のジェスチャーの威力)、後ろの二人は明らかに「よく分かっているから大丈夫」というように、満面の笑みで首を振ったのである。

二人はサムアップしながら私を抜くと、速度制限など存在しないかのように、再び大きくて速いアウディの世界へと走り去っていった。それを見送った私は、相変わらず82~85km/hのペースで走りながら、この出来事の理由を自問していた。



考えてみれば、1975年7月29日に最後の1台が製造されてから42年もの歳月が流れたが、古いフィアット500は今でも決して希少な車ではない。イタリアでの登録台数は2015年末現在で38万8691台に上り、スクラップ置き場から救い出される車があるおかげで、その数は年々増え続けている。つまり、大量の古い500がイタリア中をノロノロと走っているわけだが、ほかのドライバーは、これを敬意と寛大さをもって受け入れている。矛盾だらけのイタリアらしく、空気を汚す古い車の乗り入れを規制している都市でも、500だけは例外扱いだ。

そう、全国民がこの車を愛してやまないのである。イタリア人にとって500は、単なる車を超えて、夢や思い出や自由を象徴する存在なのだ。しかも当たり前すぎて、その愛情を意識することすらない。ニュートンが運命のあの日以前も、意識せずにリンゴを食べていたのと同じだ。

私にとっては、家にあった500Lのディテールが車に関する一番古い記憶だ。ボディはダークブルーでインテリアはベージュ、ナンバープレートはMi H41914だった。この車は祖父から母へのプレゼントだった。次男の私が生まれて、母がそれまで愛用していたアウトビアンキ・ビアンキーナ・トラスフォルマビーレでは不充分になったからだ。私は1969年2月末に生まれ、500Lは7月にやってきた。

500はセカンドカーになるはずだったが、間もなくわが家にとって唯一の車になり、それは1982年まで変わらなかった。夏といえば、飼っていた犬(大型のベルジアン・シェパードだった)や荷物と一緒にリアのベンチシートに座って、家族でバカンスに出掛けるのが恒例だった。私が初めて運転したのもこの車だ。18歳になったらもらえることになっていたが、それは叶わなかった。1982年秋のこと、母が昼食をとっている間に、家の軒先から盗まれてしまったのである。



私がようやく500を購入できたのは2008年だった。もちろん思い出ぶかい"L"だが、今度の車は白のボディに黒のインテリア、1973年登録の1972年式で、私が3人目のオーナーだ。私は前の二人のオーナーと会って、この車にまつわる思い出話をすっかり聞いた。最初のオーナーは、娘の結婚式に500を招待したという。20年前まで、この車で娘の学校の送り迎えをしていたのである。

フィアット500は、小さくて速くはないけれど、運転する者をたちまち笑顔にしてしまう楽しい車だ。その60周年をほかの1400台余と一緒に祝うため、私たちはフィアット500クラブのインターナショナル・ミーティングにエントリーした。その日、私たち3人は、荷物を乗せた500で480kmを走破した。

ファイアッロ峠とトゥルキーノ峠を越え、海岸沿いを走って、時間ぎりぎりで会場に到着し、続いてミーティングのツアーで再び山道を走ったのだ。しかし、比べものにならない強者もいて、デンマークから走ってきたチームが10もあったし、フィンランドからも来ていた。ツアー参加者は3000人近くに上り、素晴らしい動くパーティーは48時間にわたって続いた。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Massimo Delbò 

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