1400台のフィアット チンクエチェントがイタリアに大集合!

Photography Max:Serra



生産終了から9年後の1984年、数人の友人が集まって500クラブ・イタリアを設立した。場所は、リグリア海から内陸に数マイル入ったところにある小村のガルレンダだ。活動はすぐに拡大し、フィアット500博物館や膨大なアーカイブが誕生するに至った。クラブの知識や技術的な支援は、古い500の調査やレストアの際に大いに役立てられている。今や会員数は2万1000人に上り、単一モデルとしては世界最大のカークラブに成長した。

毎年7月には、ガルレンダで行われるインターナショナル・ミーティングに何千人もの会員が集まる。中には、はるばる日本やオーストラリアからやってくる車もある。この小さなフィアットに寄せられる情熱は並々ならぬものだ。どうやら500の時代は、まだ終わっていなかったらしい。

500を所有する有名人は数多い。名前を挙げ始めたらイタリアだけでも書き切れないほどだ。そこで、スーパーカーの関係者を少し紹介しよう。ジャン・パオロ・ダラーラは、大学を卒業してフェラーリで働き始めたときに水色の500を購入した。



パオロ・スタンツァーニは、ランボルギーニでの初日にフェルッチオのフェラーリを運転させてもらった話を好んでしていたが、実はそれまで運転したことがあったのは愛車のフィアット500だけだった。ジョット・ビッザリーニは500を何台も持っていたし、ランボルギーニの伝説的テストドライバー、ヴァレンティーノ・バルボーニは、ベージュの500を長年にわたって所有していた。フェラーリのテストドライバー、ダリオ・ベヌッツィも同様だ。

ミハエル・シューマッハの最初の車は赤い500だった。フェラーリで初めてタイトルを獲得したときには、ルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロから500を1台贈られている。

有名なクラシックカーディーラーのサイモン・キッドソンは、司会を務めた2017年のヴィラ・デステ・コンクール開催中に、ワンオーナーの1970年式"L"(私のと同じ白のボディに黒のインテリア)を、コモ県ロヴェラスカの神父から買い取った。 サイモンは、イタリアに住んでいた10代の頃にロッソ・コラッロ(珊瑚色)の500を所有していた話をしてくれた。父親がシエナで購入した車だという。「私はその車で運転を覚えたんだ。

兄弟で家の庭をサーキットに見立ててね。初めてのクラッシュ
もそこで経験した。運転し始めて数メートルで、母のゼラニウムに突っ込んだんだよ」

「私が大学在学中も使えるように、父がイギリスまで車を運転してきてくれた。一度、キングズロードで警察に呼び止められ
たときに、友人を7人も乗せていたことがあったよ。しかも全員タキシード姿でね。ただ、駐車違反の反則金がたまりすぎて、ついに大学近くの農場に乗り捨ててしまったんだ。人生最大の過ちだ。あの車を取り戻せるなら何でもするよ…」

フィアット500には、イタリア社会にもたらした影響がもうひとつある。この記事を準備しているときに、ある素敵なご夫婦からディナーの席で教えてもらったことだ。当時、フィアット500によって多くの若者が初めての自由と自立を味わっていた。その中で、500が恋人たちの"共犯者"となることも多かったのである。

つまり、あの小さな車の中で生を受けたイタリア人が数え切れないほどいるはずなのだ。しかし、そもそもあんなに狭いコクピットで可能なのだろうか。500Lが登場するまでは、シートのリクライニング機能すらなかったのである。 

結婚46年になるこのご夫婦は、20代の頃のクレイジーな思
い出をよく覚えていた。ポイントはちょっとした準備にあったという。まずは、助手席のシートの、床のレールに載っている部分を狙ってハンマーで叩く。そうすると、必要なときにシートが簡単にレールに沿って外れ、コクピットにスペースを作り出せるというのだ。
 
もちろん、床に敷くブランケットも欠かせない。ゴムのマッ
トに膝をつくと、黒くなってしばらく消えないからだ。ハンドブレーキを引いておくのは、足がぶつかって外れる恐れがあるので御法度。代わりにギアを1速に入れておけば、車は動かないし、スペースも増える。こうしてようやく事に及ぶことができる…のだそうだ。

イタリア人とフィアット500の話をするときは、「持っていたことがあるか」ではなく、「どれを持っていたか」と尋ねる。この車が今もあらゆる場所に溶け込んでいるのも当然だ。立派なコレクションや重要なイベントで見かけることもあるが、どの村でも路肩に何気なく駐まっているし、あらゆる都市を元気に走り回っている。

500はこの国全体の旧友だ。それも、たくさんの素晴らしい思い出を共にしてきた特別な友人である。だから、どこへ行っても常に温かく迎えられる。

チンクエチェントのさらなる60年の繁栄を祈って、みんなで祝杯を上げようではないか。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Massimo Delbò 

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