ポルシェのレース史に残るレジェンドマシンを試乗!│常識外れの1台

1974 Porsche 911 Carrera RSR Turbo 2.1(Photography:Alex Tapley)

ル・マンに挑んだ最初のターボカーはポルシェ911だ。それ以降、ル・マンを戦ったポルシェのほとんどはターボでエンジンを武装していた。ジョン・バーカーが、レース史に残るレジェンドをリポートする。

なんて風変わりな外観だろう。カレラRSRターボ2.1の写真であれば、これまでに何度も見てきたが、ロッキンガム・レースウェイのピットレーンに佇むこの車に一歩一歩近づいていくと、「自分のリビングルームに置かれたソファでデイヴィッド・ボウイが寛いでいるのを目の当たりにしたかのような」違和感を覚える。その姿を見て、私は大声で笑い出すのを抑えきれなかった。自信、ビジョン、そして傍若無人。そんな思いがあったからこそ、ポルシェはいま見てもこの奇妙で、息を呑むような車を作り上げたのだろう。1974年ル・マン24時間のピットレーンを走り抜けていくその姿を見て、ライバルたちはいったい何を思ったのだろうか?

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RSRターボは、常識外れな問いかけに対する"常識外れな回答"である。その問いとは、ターボを装備して500bhpを生み出すフラット6エンジンをリアエンドにマウントした911RSRで栄冠を掴み取るにはどうすればいいのか、というものだった。

プロジェクトを率いたノルベルト・ジンガーは、このときポルシェに入社してまだ数年余り。そのジンガーによれば、15インチのワイドなリアタイヤを装着し、信じられないほど巨大なリアウィングをすることが、この問いかけに対する主な回答だったという。FIAが定めたグループ5は外形を量産車に似せた"シルエット・フォーミュラ"と呼ばれるカテゴリーだが、ロードカーの販売に役立てるレーシングカーであるからには、RSRターボも911を思い起こさせる存在でなければならず、そこで巨大なリアウィングは黒にペイントされてなるべく目立たないように仕上げられた。

ポルシェは合計で4台の2.1ターボを製作し、それぞれにRがついたシャシーナンバーを与えた。ここで紹介する1台は"R13"。ただし、実戦に登場した3台(残る1台は開発車両)のなかではもっとも多くの成功を収めており、1974年のル・マン24時間では総合2位でフィニッシュした。伝統の24時間レースにターボマシンで挑んだのが初めてだったことを考慮すれば、これは望外の好成績だったといえる。しかも、ライバルには、経験豊富で軽量なオープンコックピットのスポーツプロトタイプ、マトラ、ローラ、ガルフ・ミラージュ、リジェ、シェブロン、そして数台のポルシェ908が揃っていたのだから、その価値はことさら際立つ。

そういったライバルたちに比べると、RSRターボはファニーカーやドラッグスターのようにも見える。いかにも911らしい低いフロントエンドから、徐々に上昇しながら最後に巨大化するスタイリングは、カリカチュアされたマンガのようでもある。また、リア側のサイドウィンドウはNACAダクトを収めたパネルに置き換えられているほか、リアウィングとその支柱はボディ自体からさらに後方に突き出している。

後方からの眺めは壮観でさえある。なにしろ、ボディパネルを大きく切り欠いたところから、巨大なターボを吊り下げた様子が目の当たりにできるのだ。いっぽうで、その左右には911ロードカーと同じテールライトが取り付けられている。さらにその両側に大きく張り出したリアフェンダーを見て、ひょっとしてボディ自体の幅が狭くなっているのではないかと訝るかもしれないが、それは間違い。実際には、スタンダードな911のリアフェンダーが終わる位置から、RSRターボの巨大なリアフェンダーは始まっているのだ。

こうしたモディファイは実に効果的だった。この年、もっとも速いスポーツプロトタイプが予選で叩き出したタイムは3分36秒台。そしてRSRターボはその16秒後れでしかなく、3.0RSRよりは20秒近く速かった。しかも、後述する問題を除けば驚くほど信頼性が高かったので、初出場にして優勝争いに絡む活躍を見せられたのである。

編集翻訳:大谷達也 Transcreation:Tatsuya OTANI Words:John Barker Photography:Alex Tapley 取材協力:グッディング&カンパニー(http://www.goodingco.com)

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