速度記録を樹立した1台のイギリス車とは?│その乗り味を堪能する

1953年トライアンフTR2(Photography:Paul Harmer)

この特別なTR2がベルギーのジャベックで速度記録を樹立したのは半世紀以上前の話だ。アンドリュー・イングリッシュがその真相を明らかにする。

近代の地上速度記録というものは、4桁代の数字を目指して航空エンジニアやレースチームが苦労するものだ。だが、かつて量産2リッター・スポーツカーの速度記録はこの車、登録番号MVC575を付けた、可哀想なほど質素なトライアンフTR2によって作られた。

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1953年5月、ゼラニウムグリーンに塗られた2リッターマシンは、ベルギーの北西部ウエストフランダース地方にある当時のヨーロッパにはまだめずらしかった長い直線を持つ高速道路、ジャベックにおいて時速124.899マイル(202.58km/h)のクラスレコードを樹立した。

その当時のジャベックは、記録を樹立する場所という意味では、現代のメーカーにとってのニュルブルクリンクの北コース、ノルトシュライフェのようなものだった。速度計測は、高速道路A10のジャベック区間にある約8マイルの平坦な直線の一部を使って行われた。計測区間は植栽の中央分離帯をもつ片側2車線だが、計測の際は片側を対面通行として一般車両を通し、反対側の2車線を封鎖して両方向を計測し風などによる誤差を平均化することになっていた。

MVC575による挑戦には、F1コンストラクターBRMでテストドライバーを務めるケン・リチャードソンが起用された。分厚い外套を着込んだベルギー王立自動車クラブの計測専門家達のほか、テレビ取材班など報道陣が見守るなか、熟練技術者であり勇敢なテストドライバーでもあったリチャードソンは、速度記録を書き換えるため、金属製トノーカバーの小さな開口部から狭いコクピットに潜り込み、低いエアロスクリーンの後ろにうずくまった。それはスタンダード社のウエストミッドランド・カンリープラントでTR2の生産が始まるおよそ2カ月前のことだった。記録達成のためにその車に施された数少ないモディファイは、空気抵抗を減らすためのアンダーシールド、リアホイールアーチのスパッツ、そして危険な金属製トノーカバーのみであった。

私はいま、リチャードソンが65年前に座ったシートに座っている。確かに金属製のトノーカバーは危険だ。それは、私の首の後ろに触れていて、断首を待つ罪人のような気持ちになった。実は紛失していたオリジナルの金属製トノーカバーを再現する際に、ドライバーの頭部を守るため、オリジナルには備わっていなかった頭部安全固定具が追加されたのだ。シートベルトはない。

リチャードソンの回想記は、1998年の『トライアンフ・オーバー・トライアンフ』誌に掲載されている。それによると、彼は圧力低下が原因のサイフォン効果によって、サンプ内のオイルが吸い出されてしまう現象が明らかになったため、その対策としてブリーザーパイプがアンダーシールドの下まで現場で延長されたことを知った。

「余計なお節介で、あの記録挑戦がほとんど台無しになるところだった。車の下側全体はオイルまみれで、プラクティスの時点でオイルはリアホイールにまで達していた。コントロールを失って、中央分離帯を超えて反対車線に飛び込むところだった」

編集翻訳:小石原耕作(Ursus Page Makers) Transcreation:Kosaku KOISHIHARA (Ursus Page Makers) Words:Andrew English Photography:Paul Harmer

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