速度記録を樹立した1台のイギリス車とは?│その乗り味を堪能する

1953年トライアンフTR2(Photography:Paul Harmer)



新しいトライアンフTR2の発表を数カ月後にひかえた1953年初めのこと。当時のスタンダード・トライアンフ社々長、サー・ジョン・ブラックは、英国の著名な女性ラリーストであるシェイラ・ヴァン・ダムが、2リッターのサンビーム・タルボット・アルパイン・プロトタイプに乗り、ジャベックで平均時速120マイル超を出し、2〜3リッタークラスレコードを更新したという記事を目にした。

ブラック社長は、これが間近に迫ったTR2の発表に影響を及ぼすかもしれないと危惧し、対抗する記録を作るようリチャードソンに命じた。その数日後、リチャードソンは再びブラックに呼ばれ、ジャベックを5月20日に予約したと告げられた。リチャードソンは仰天し、車に起こるだろう問題や悪天候のリスクを思い浮かべた。与えられた期間はそのようなスピード記録に挑戦するには必要最小限の時間だったが、ブラックは反対意見を聞くような人物ではなかった。

「いまやすべての手配は完了した。あとは我々がぐずぐずせずに実行するのみだ」と、リチャードソンは議論好きなブラックとは上手くやった。ブラックは衝動的な行動と憂鬱で暗い性格なので、実は扱いづらかったはずなのだ。リチャードソンと彼の挑戦チームは、現在もケネルワース近くの同じ場所にあるパブ"クイーン・アンド・キャッスル"を非公式の記録挑戦本部として、オックスフォード近くのビスターロードを使ってスピードテストを行った。いうまでもなく、距離を正確に計測し道標を設置してのテストであった。

「彼らは記録挑戦の後に報道陣に試乗させるはずだった」とトライアンフのスペシャリストである、プロテック・オブ・ウォリングフォードのグレン・ヒューエットはいう。「だがそれは実現しなかった。肝心のエンジンがノッキングをくりかえし、ボディ後部はリアタイヤに至るまでオイルまみれだったからだ」

ヒューエットは2015年11月にMVC575を入手後、18カ月におよぶレストア作業の末、2017年になって完成させた本人だ。

この挑戦の重要性は、現存するスタンダードトライアアンフ社のオフィシャル映像から(You Tube "Triumph TR2 Jabbeke speed test")よくわかる。色褪せた映像が映し出しているなか、折れ帽にオーバーコートのスタイリッシュなブラックやテクニカル・ディレクターのグレナム。そして「これはフィルムクルーにとって仕事の正当性を示すたいへん重要な資料だが、中でも重要なことはボスがその場にいたってことだ」とヒューエットは語る。映像には、ブラック以外にも、『デイリーエクスプレス』紙の自動車担当であるバジル・カーデュー、『サンデーテレグラフ』紙のコートニー・エドワーズ、『オートカー』誌のピーター・ガルニエ、ロンドンの夕刊紙『ザ・スター』のローリー・ケード、そして大御所ポール・フレールなど、ヨーロッパの車担当記者とジャーナリストの大物が写っている。ブラック主催の走行前夜のディナーには約70人が出席し、山高帽を被った陽気な広報部長のアイバー・ペンライスの説明を聞いた。

数多くのプロトタイプカーと同様、MVC575はその後ファクトリーの試験部門でテスト車両として使われ、また一時はリチャードソンの個人使用車でもあった。そして1956年10月にジョン・ヘッジャーという人物に売却された。車にはロンドンの中古車ディーラーのウェルベック・モータースが発行した、フォード・ポピュラーを下取りした際の追い金、650ポンドの領収証が残っていた。その後、さらに二人の所有者を経て、1976年にレストアのために分解されるまで使われ続けた。ヒューエットがそれを見つけ、オーナーに売却交渉した時、MVC575は鍵のかかったガレージでバラバラの状態だった。ヒューエットが苦労して復元した現在のMVC575の価値は、25万ポンドを超えているだろう。

編集翻訳:小石原耕作(Ursus Page Makers) Transcreation:Kosaku KOISHIHARA (Ursus Page Makers) Words:Andrew English Photography:Paul Harmer

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