森の中で見捨てられていたボロボロのVWバスを救出

1952年VWトランスポーター(Photography of finished vehicle:Matthew Dear)

50年ものあいだ、スウェーデンの森に打ち棄てられたままだったVWバーンドアバン。だれの目から見ても救出する価値のあるものとは思えなかった。しかし、筋金入りのVWエンスージアスト、ベン・ラフトンだけは違った。

日中はエンジニアとして働いているが、彼の情熱は初期型のVWに注がれている。彼は不可能と思われるようなプロジェクトに挑み、車を道路へ戻すことに定評がある。そうした彼が、「スウェーデンの森に、腐ってはいるがごく初期のVWがある」と聞いたとき、即座に反応するのは当然のことだった。そのバンはあまりにも酷い状態だったため、スウェーデンのVWエンスージアストの中に、その車を救おうと手を挙げる者はいなかった。だがベンは違った。

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スウェーデンが左側通行だった時代の生き残り
「2008年に発見されたこのバスのことは知っていたよ。未だに引き取り手が現れていなかったことには驚いたね。それは1952年の1月に製造された世界最古の右ハンドルバージョンの"バーンドア"に違いなかった。もしかすると、ヴォルフスブルク製の現存する右ハンドル・フォルクスワーゲンの中でも最も古いかもしれない。その前には、南アフリカやアイルランドでノックダウン生産の右ハンドルのビートルが造られただけだ。楽観的に考えて、それをリビルドして、走らせることに思いを馳せたんだ」

ヨーロッパ本土で、なぜ右ハンドルのフォルクスワーゲンが必要なのか。周辺の隣国とは異なり、1967年の9月2日まで、スウェーデンは左側通行だったからだ。3日になると同時に、右側通行になり、車は左ハンドルに切り替わった。あのキャッチーな名前で知られる「ダゲン・H」まで、スウェーデンは英国と同じだったのだ。

だが、1952年初頭でも、右ハンドル仕様のVWバスは工場に特注する必要があったため、新車としてもたいへん希少な存在であった。このバンは、ノルウェーとの国境近くにあるトイクスフォーシュという小さな町にあるガレージオーナーが購入したものだった。森の中に捨てられるまで、たったの10年間ほどしか使用されていなかったと考えられている。

「ベルギーで開催されたVWラリーでベンと知り合ったスウェーデンのVWエンスージアスト、デミアン・シェーベルイがバスの現在の状態を示す写真をメールで送ってくれた。どれも醜い写真ばかりだった」と、ベンは両手の親指を立てながら言った。「最もひどい状態のワンオーナー車の写真だらけだった」とベンは続けた。

「だが、私の協力者でもあるダイ・ワトキンスが、北スウェーデンにあった燃え尽きた1953年式のバーンドアを購入することができた。私たちは二人とも金欠だったので、瓦礫と化したこの2台のバスを1回の旅で運んでくる計画を立てたんだ」

だが、旅に出るまえ、ひとつだけ気がかりだったのは、未だに情報提供者のデミアンがそのバスが放置されている土地の所有者との連絡が取れていないことだった。つまり、そもそも購入ができるという保証もなかった。なんとかなるだろうと、ベンとダイはスウェーデンへ向けてのロングドライブに出発した。その旅は、主たる目的である2台の錆び付いたバスの回収に加え、VWのショーへの参加や、VWエンスージアストたちへの表敬訪問も組み込まれ、一睡もできない2800マイル(約4500km)旅程となった。

森から救出
ダイが入手した1953年バーンドアには何も問題はなかった。単純にアングルグラインダーで二等分され、トレーラーの上に積まれていた。しかし、その間にも52年式の方は音沙汰無しだった。諦めて、彼らが引き返そうというところにデミアンから電話があった。52年式を購入したあのガレージのオーナーの息子を名乗る土地の所有者に、売却の意思があるというのだ。値段については話題に上がらなかったが、デミアンはあのバスの状態を考えると大した金額にはならないと考えていた。

実はこのレストアドラマには、もうひとりのヒーローがいる。地元のVWエンスージアストのパトリック・グルフボルグだ。彼は、地主と話をつけ、その"森の牢獄"の中からバスを取り出すために、チェーンソーとトラクターを使っての手伝いを名乗り出たのだ。

「なんていいやつなんだ」とベンは感心する。

「私たちが彼の家に着いたとき、すでに彼は近隣の家を回り、お土産としてバスから持っていかれた部品を回収してくれていたんだ。このやり方で、彼はボンネットのVWエンブレム、燃料タンク、スペアタイヤのトレーを回収していた。とても幸先の良いスタートだった」

当初の計画は、バスの周りに茂った木々を切り、長い木材で路面を補強し、ベンのトレーラーまでトラクターで運ぶという手はずだった。その計画はボディと同様にすぐに崩れ去ることになった。それがシャシーの上に転がったときに、右側全体がまるで鉄製のレースカーテンのように捲れ上がった(写真参照)。屋根はまるで紙のように薄くなっていて、こわばっていた。アングルグラインダーと発電機を取り出し、可能な限りボディを切断分割するしか方法はなかった。




2台分の部品をトレーラーと牽引車のVW T5に詰め込み、ベンとダイは再び1日あたり1000マイルを超える旅に出た。過酷な旅を終えると二人は52年式の部品を下ろし、ベンの車庫にしまうことができた。「その夜は本当によく眠れたよ」とベンは思い出す。そしてベンは、ようやく購入したものをじっくり見る時間ができた。

「酷かった。本当に酷かったよ。あまりにも朽ち過ぎていて、これは自然に帰らせるべきだと思う人もいるだろう。しかし私はレストアの方法を模索しながら興奮していた。私たちが回収しなくても、いつの日かこの2台のバスのタッグは『救助』され、オリジナルの部品がほとんど、あるいはひとつも無い状態で復活させられていたのではないか、と思うんだ」

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:BE-TWEEN (平野 Julia、Shawn Mori、東屋 彦丸) Words:Mark Dixon and Ben Laughton Photography of finished vehicle:Matthew Dear

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