森の中で見捨てられていたボロボロのVWバスを救出

1952年VWトランスポーター(Photography of finished vehicle:Matthew Dear)



最大限にオリジナリティを維持するというのが、ベンが強く注力する部分だ。

「復元と新たに作り出すことの境界線は、よく曖昧になる。VINプレートから始め、古く錆び付いたものをすべて捨ててしまい、ゼロからまったく新しいものを造ってしまう人もいる。個人的には、それは好きになれない。その車の心と魂を失ってしまうからだ。救えるものはすべて、壊れたダッシュのポッドまで、救うこと。それが1952年当時のドライバーが見ていたものだったと思うと、それこそが挑戦でもあり、楽しさの部分だった。もちろん簡単な方法ではなかったが、このバスにとっては正しいことだったと思っている」

ベンの良心が、最初から試された。ひどく腐食していたバスのシャシーを、どう処理するかを決める必要があったからだ。

「できるだけオリジナルの金属部を残すように望んでいたが、それと同時に安全で長持ちさせたいとも考えていた。私たちがシャシーについて考えたことは、その大部分を修理する必要があり、原型はほとんど残らないこと、このため、1台分の新しいシャシーレッグが必要だと判断した。幸いにも、私はデンマークの『ニュー・オールド・ストック』で右ハンドル用のシャシーレッグを入手して、これを参考にしながらシャシーレールの完全なコピーを造ったんだ」

「リア・サスペンション・クレードルは話が別だった。私は、ドナー部品を使って軽く試したが、バスの心臓部のようなものなので、結果としてよい感触は得られなかった。トーションバーのハウジングにまで錆が進行しており、私たちは溶接を始める前、トーションバーを外す作業でヘルニアになりそうだった。ハウジング自体はリペアが可能で、この古いクレートに新しい金属パーツを溶接してみたら好感触になった」

彼が"私たち"と言うのは、ベンがバスに関する作業の一部を外注したことを率直に認めているということだ。

「私がほとんどの部分を手掛けることもできるが、必要な際に助けを求めることもやぶさかではない。このプロジェクトには当初、とても優秀な溶接業者が参加していたが、彼が辞めた後、私の友人であるドーセット州モートンの『ビートル・マジック』のオリ・オリバーとベン・オリバーに、プロジェクトへの協力を求めたんだ。私が行ってあれこれと手伝えば、何かしらの役には立っただろうが、現時点では4つのプロジェクトを抱え、フルタイムの仕事をしているからね。だから、むしろファシリテーターとしての役割を果たすことにしたよ。つまり、必要な部品の調査、探索、収集をしたんだ。さもなければ、私はいまだに床に横たわって、溶接をしているだろう」

シャシーに穴あけ加工を施し、固定されたプラットフォームに溶接した時、押しつぶされたボディパーツの塊を分解して、どのように利用できるのか調べていった。ベンは、可能な限りオリジナルのパネルを確保したが、錆が内部まで食い込んでいる部分には、縁まで新しい金属に変える必要があった。シート間のフロントアクスル上の床となる大型のツールコンパートメントが、典型的な例だ。

残しておく金属部分が足りない時には、ベンは妥当な年代のドナーパネルを利用しようとした。カーゴドアがない、平らな右側のパネルはほとんど何も残っていなかった。というのも、バスがじめじめした森林の中で、そちら側を下にして横倒しになっていたからだ。そこに使うことができる完全なドナーパネルが見つかった。唯一の問題は、それが「コンビ」モデルのものだったので、窓が並んで備わっていたことだった。しかし、内側と外側を囲っている溶接された窓枠は、内部の垂直の留め具だけを残し切り離された。その後、平らな鋼板をそれらの場所に溶接し、ひどく腐食して塗料が剥がれた残りの下部パネルはそのまま残した。

ルーフはさらに大きな挑戦だった。ベンは後部の3分の2を交換するために、純正のドーブブルーのドナー部品を見つけた。「でも、バスのアイデンティティを維持することだけのために、フロントはそのまま残したいと心から望んでいたよ。問題は、森林の地中に埋もれていた右側面が錆びてしまっていたこと。フロントの深みのある緑青色を保持するため、リアルーフのオリジナルのスクラップから使用するという解決策を思いついたんだ」それは、直感的な決断であり、骨の折れるトリミングとパッチングが必要だったが、できるだけ多くのオリジナルの金属部を使うというベンのルールにも忠実だった。

あの特徴的な荷室ドアはどうしたのだろうか。

「私たちが森から引っ張り出した時は、どのドアもスクラップそのものだったが、楽天家の私としては、そのドアを使いたいと思った。あまりにもスクラップが多過ぎると、オリジナルのバスの一体何が残るんだろうか?」とベンは自問した。

「私には幸運にも、非常に才能あふれる友人が何人もいて、そのひとりでType29(Type29.co.uk)を営むマーク・スパイサーに電話をかけたんだ。彼がドアの外側表面を仕上げると、とてもよい感じになった。焼け焦げた様な錆だらけのオリジナルと交換するため、新しいフレームを作ったよ」と語った。ちなみに、よく誤解されているが、「バーンドア」というニックネームは、サイドで開くドアから来たものでなく、後部の巨大なエンジンベイのリッドに由来する。

バスが少しずつ復元されていく。外板の新しいペイントは、残存しているペイントに溶け込み、一体感のある仕上りとなった。キャブ内部のプライマー補修も、残っている部分にしっくりと馴染んだ。荷台部分は均一なグレーに再塗装された。底面は耐久性のために、回転台の上でシェル全体を回転させ、完全に塗り替えた。この結果、復元と保存という矛盾する要求の間に、喜ばしい妥協が生まれた。

オリジナルのドライブトレーンは、数十年前に取り外されてしまっていたので、ベンは同一の部品にあまりこだわらなかった。つまり、オリジナルと同時代の1131ccユニットとクラッシュ・ボックスを探さずに、後期製の1493ccエンジンとシンクロメッシュ・ギアボックスを取り付けた。外側は、ベンが「ほどよく古い感じに加工した16インチリム」として表現したホイールに、ランド・ローバー・シリーズ1のタイヤが装着され、少しばかり強面の様相である。フォルクスワーゲンによくあるように、このバスにはさり気ない特別仕様の感がある。

おかしなことに、スピードメーターにはわずか915マイルしか記録されていない。普通ならこのバンは四六時中走りまわっていたと考えられるであろう。しかし、フットペダルやスタータースイッチのような部品は使い古されていない状態であり、単なる可能性ではあるが、このバンは地元の村々を行き来するだけで、非常に少ない走行距離のまま、1950年代後半から60年代初期から放置されたのではないかと考えられる。激しく痛んだポッドで、オリジナルの警告灯とスイッチギアが再び作動し始めた。

驚かれるかも知れないが、このすべての作業の後、ベンは外側のパネルに残っていた腐食している部分の処理をしなかった。「時には、アマニ油とミツロウをミックスして、古いVWの緑青色を維持している。しかし、私はこのバスを1年ほど運転しながら、古い金属部分と新しい金属部分が同時に風化して、境目が溶け込むようにしたいんだ。私は何かしら処理する前に、外気に当てる期間が必要だと感じた」と彼は説明した。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:BE-TWEEN (平野 Julia、Shawn Mori、東屋 彦丸) Words:Mark Dixon and Ben Laughton Photography of finished vehicle:Matthew Dear

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