ランボルギーニ・ミウラの生みの親が選んだ自分への誕生日プレゼントとは?

1967年ランボルギーニ・ミウラP400(Photography: Max Serra)



しかしながら、ポロストリコのアフターセールス部長であるパオロ・ガブリエッリがカギをダラーラに手渡すと、彼は今でもミウラを運転できる以上の能力を持つことを証明して見せた。

「今日はこのような車にとっては最高の交通環境ではなかったが、私にとっては大きな問題ではない。今のところ、決めているのは孫娘と一緒に魚料理を楽しみに、パルマリア島のロカンダ・ロレーナに行くことだけだ。その後は、ダラーラで働いている若いエンジニアたちにミウラを見せるつもりだ。私たちがどれほど世間知らずだったか、そして、当時はディストリビューターにしか電気は必要ではなかったが、ミウラのエンジンは反時計回りだったので、どのように細部を改造しなければならなかったか教えるつもりだ」

「今なら笑い話だが、私はフォードのR&D部門がミウラを一台購入した後に写真を送って来た時のことも教えようと思う。それは彼らのテストの最中に曲がったサスペンションのリンクの写真だ」

「私は彼らに、安全性について無数の失敗を犯しながら、あるいはまったく備えていないにもかかわらず、どのようにして歴史上もっとも驚くべき車を製作したかを見せるつもりだ。リアに荷重がかかりすぎたこと、4本のタイヤを同じサイズにしてしまったこと、クーリングファンの能力が小さすぎたこと、そしてファンの性能を効果的に引き出すにはファンの下部を覆わなければいけないことを知らなかったこと、さらに車を作り上げるために必要だからギアボックスとディファレンシャルを内製したにもかかわらず、実は私たちチームの誰ひとり、それまで設計したことがなかったということ。そうしたことを伝えなければならない」

1969年にダラーラはランボルギーニを離れて本格的なレースの世界に身を投じる。フランク・ウィリアムズとアレハンドロ・デ・トマゾとともに彼らのF1チームで働き始めたのだ。1972年には彼自身の会社を興したが、出費を抑えるために父親の家の裏のガレージを本社にした。いっぽうでまだランチアのためにも働いていたので、家族のために給料を得ることができたという。その後の成功にもかかわらず、ダラーラのミウラとランボルギーニ時代に対する愛情は際立って特別なものである。

「私たちは皆若かった。夢を現実にできると信じていた。もしミウラが生まれていなければ、私の人生は違ったものになっていただろうと想像することがある。ミウラの生みの親のひとりと認めてもらえることは誇りに思うし、あの素晴らしい時代に出会った人々の忘れられない思い出がある」

そう言いながら、彼自身のミウラのプロダクション・シートを眺めると、たちまちそこに記入してある筆跡とサインが亡くなったテストドライバーのボブ・ウォレスのものであることに気づいた。新車のようなミウラをパオロ・スタンツァーニの家の前で撮影したいという私たちの願いを受け入れてくれる前に、彼はコピーを取ってくれと頼んだ。

「それは素敵なアイディアだ」とダラーラ。「偉大な仕事のパートナーであり、生涯の友人だった彼を称えるのに、私の誕生日プレゼントを見せる以上の良い方法は考えられないよ」


オリジナルのホワイト/ブラックのボディカラーにレストアされ、まさに輝くばかりのミウラ。亡くなった同僚パオロ・スタンツァーニの自宅前にたたずむ。

1967年ランボルギーニ・ミウラP400
エンジン:3929cc、V12気筒 DOHC、
ウェバー・トリプルチョーク・ダウンドラフト・キャブレター×4基
最高出力:350bhp/7000rpm 最大トルク:262lb-ft/5000rpm
トランスミッション:5段MT 後輪駆動 ステアリング:ラック&ピニオン
サスペンション(前/後):ダブルウィッシュボーン、コイルスプリング、
テレスコピックダンパー、スタビライザー
ブレーキ:4輪ディスク 車重:1125kg
最高速163mph 0-60mph加速:6.3秒

編集翻訳:高平高輝 Transcreation: Koki TAKAHIRA Words: Massimo Delbo Photography: Max Serra

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