フェラーリ・デイトナと生きた人々 第1弾│会社のためにデイトナを売却した経営者

octane UK

偉大なアイコン、フェラーリ・デイトナにまつわる証言を集めてみた。愛した人、造り上げた人、競わせた人がその魅力を語った。

マックス・ジラルド 会社経営者

私は実に素敵な車とともに人生を歩んできました。2006年、ボナムス・ヨーロッパのディレクターに就任した後、RMサザビーズで10年間、マネージング・ディレクターを務めました。オークションハウスでの仕事はとても楽しく、特に「競り」は面白かったです。私の父親が1970年代にラリードライバーだったことも影響しているのか、私が自動車コレクターになったのは自然の摂理だったように思うほどです。

ただ、人生においては何かを得るために、何かを犠牲にしなければならないことがあります。2016年、「ジラルド&Co」という会社を創業したのですが、想定よりも出費がかさみました。事業を成功させるためにどうにか資金を捻出しなければならず、ロッソディーノ色をまとったデイトナを売却することにしました。リトラクタブル式ヘッドライトとなった1970年以降のデイトナで、オプション設定されていた、ストライプが配された車でした。スリムなホイールはオリジナルのままで、当時の黒いイタリアのナンバープレートもそのままにしてあります。オーディオでさえ、オリジナルのままでした。



このデイトナは、もともとイタリア南部のスクラップメタル業者が所有していたものでした。スクラップヤードは戦場のように荒れ果てた雰囲気でしたが、奥のガレージにはこっそりと極上フェラーリが何台もコレクションされていました。コレクションの存在は7年くらい知っていたのですが、ある日、ミラノのフェラーリ・ディーラーに全車譲られた、という情報をキャッチしました。後先考えることなく、とりあえず買うしかありませんでした。30代だった当時の稼ぎからしたら、無謀だったと言えるかもしれません。妻には購入金額を教えられませんでした。でも、あれからずっとフェラーリ相場は上昇しています。結果的には賢かったのかもしれませんね。

V12エンジンはパワフルで、機関車のような力強い加速力に魅了されたものです。燃費は予想通り悪いですし、縦列駐車をするにはステアリングが重かったものです。でも信頼性は高く、維持するのは容易でした。まだチャイルドシートを必要とする息子を乗せて"自分の" デイトナで長距離ドライブにも出かけましたし、思い出が詰まった一台です。果たして息子が覚えているかは疑問ですが、父親としては素敵な思い出になっています。



当時、住んでいた自宅のガレージは小さく、デイトナがなんとか収まるほどのスペースしかありませんでした。ドアを開けることはできないのでボディに傷がつかないようにズボンのベルトを外し、靴を脱ぎ、サイドウィンドウ部分から出入りするしかありませんでした。今となってはそんな"儀式"が懐かしく、愛おしく感じられます。ガレージには庭に面したガラス窓があって、用もないのに覗き込んだものです。運転しても惚れて、運転しなくても惚れる。

こんな気持にさせてくれる車、そうそうないでしょ
うね。そんなデイトナでしたが、ジラルド&Coを設立して間もなく、資金調達をしようと考えていたときにデイトナの買い取りのオファーを頂戴したんです。

デイトナが居ない生活は寂しいかぎりですが、今は会社を成功へと導くことが最重要課題です。そして、いつでも買い戻せるようにデイトナの居場所はちゃんと突き止めています。ちなみに今は、ノルウェーのオーナーによって可愛がられているようです。

編集翻訳:古賀貴司(自動車王国) Transcreation: Takashi KOGA (carkingdom)

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事