プリンス自動車のインサイドストーリー 第6回│プレミアムメーカーとしてのプリンス

Kumataro ITAYA

今回はこれまでと少し趣向を変えて、プリンス・ロイヤルを肴に、プレミアムカーメーカーの要件と、クルマをとりまく日本の環境や文化について、常々考えていることをエッセイ的にまとめた。

プレミアムとは、価値観そのものである。まずは価値の概念自体を少し掘り下げてみよう。

すべてのものはふたつの価値で成り立つ、とわたしは考えている。ふたつとは、ひとつが文明価値、そしてもうひとつは文化価値である。文明価値を機能価値、文化価値を情緒価値とすると、それらの性格の違いがはっきりしてくると思う。

たとえば食べ物。誰しも人間であるかぎり、飲食なしに生命を維持することはできない。生存するには水分と栄養の補給が不可欠となる。地球上には現在でも厳しい環境下におかれている人たちが少なからず存在し、彼らにとって食事とは命をつなぐ行為そのものである。

その一方で、生命の維持というよりは嗜好、すなわちおいしいかまずいかで飲食を繰り返している人たちもいる。なかには生命の危険をおかしてまで美味・珍味の類を口にし、実際に命を落とした人も存在する。食物や飲料の持つ本来の意味、生命維持にどれだけ貢献するかの指標を文明価値とし、対するおいしさの度合いを文化価値、と置くとふたつの価値の違いは更に浮き彫りになる。

一部の先進諸国に於いては、飲食のような生命維持のための根源的な活動ですら、栄養やバランスといった本来の文明価値よりも、おいしいかどうかの文化価値によって決定づけられている。食における文化度とは、飲食をたのしみのために行なう頻度のこと、と定義することができるかもしれない。人間という生きものには、文化を探求する性質が刷り込まれているらしい。

このふたつの価値をクルマに当てはめてみると、燃費や維持費などクルマを使用する際に享受する価値が文明価値にあたり、そのクルマが手許にあるだけで充足されるような価値は文化価値となる。クルマにおける文明価値とは使用価値、すなわちレンタカーやカーシェアリングでも得られる価値、文化価値とはたとえ使用しなくても存在する価値、言い換えれば使用価値に対して所有価値とでも呼ばれるべきものである。

文明価値と文化価値について考えていくと、文化価値の根幹が美であることに気付く。おいしいという言葉も美味しい、と美の文字が充てられている。

文:板谷熊太郎(Kumataro ITAYA)

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