プリンス自動車のインサイドストーリー 第6回│プレミアムメーカーとしてのプリンス

Kumataro ITAYA



国産初の御料車をプリンスが担当することになったのも、ごく自然な成り行きであった。御料車製造について、宮内庁はまず日本自動車工業会(以下自工会)に打診している。この話を受けた自工会では、お上の御用にふさわしいのはプリンスをおいて他にはなかろう、との結論に至り、時の自工会会長・川又克二氏からプリンスに正式な依頼が行なわれた。

余談ながら、新たな御料車製作についても宮内庁はまず日産に打診している。御用達の看板を自ら辞退したのは、新体制の日産自身。この意識の差には愕然とさせられる。国産車初の御料車製造を引き受けたプリンスは、当然のことながら全力で取り組む。とりわけプリンスの経営トップである石橋正二郎氏の意気込みは相当なものだったと伝わっている。プリンスはロイヤルのために細かな部品まで全てを新造し、一切の共用を許さなかった。具体的な金額を記すことは控えるが、完成車の宮内庁への納入価格を、プリンスは当時のロールスロイスと同額に設定した。ただし、台当たりのコストは軽くその10倍以上が費やされている。石橋氏の資金的バックアップなしには成り立たなかったプロジェクト、それが御料車なのである。

ここでいわゆるラグジャリーカー、プレステッジカーと呼んでもよいかもしれぬ、の顧客にも二種類あることを示しておこう。ひとつは新興勢力、砕けた言い方をすれば成金。そしてもう一方が長らくその地位にあるエスタブリッシュメントである。これらはそれぞれ要求要件が全く異なる。



まず新興勢力。新興であるがゆえに、まわりに権威を見せつけなければならない。当然、顕示的になる。逆にいえば、自らの力を示す必要があるのは新興勢力層なのである。既に権威の確立した勢力層、彼らはことさら自己を顕示するようなことはしない。彼らがプレステッジカーを求めるのは、燕尾服やタキシード、あるいはブレザーやジャケットと同様、社会に対して礼を失することのないように、との思いからである。用向きによって最適のクルマを選ぶのは衣服と同様だが、そこで重視される要件は、一様にどれも目立ち過ぎてはならない、の一点である。アンダーステイト・控え目に振る舞うことの美徳を解するのは、長い歴史を背景に持つ者の特徴である。

このような話がある。英国のプレステッジカーをデザインする場合の鉄則のひとつ。それは後ろ姿をさりげなくする、というもの。この手のクルマは他車を抜き去る機会が多い。そのような場合、後ろ姿が仰々しいと抜き去られた者に嫌味を残す。ロールスロイスやベントレーは言うに及ばず、たとえば同じボディーを用いたジャグアとディムラーで、ディムラーの方がジャグアよりも後ろ姿に光モノを控え目にしているのは、このような配慮による。

実のところ、プリンス・ロイヤルの外観デザインには別案が存在した。廃棄案は英国調の堂々とした佇まいのもので、わたしはどちらかといえばそちらが好みなのだが、プリンスではどちらにするか決めあぐねて昭和天皇のご意向を確認している。宮内庁からの回答によると、陛下のお言葉は、「目立たぬのがよいぞ」、とのこと。かくして、既にデザインが決まっていたA30グロリアに酷似したフロントデザインの採用となった。プリンス・ロイヤルの前後を、A30グロリアが伴走するような場合も想定しての結論である。

プリンス・ロイヤルは7台が製造され2台は外務省に納められたが、他は宮内庁に納入されている。現在はその役目を終えて機能価値、すなわち文明価値を失ったプリンス・ロイヤルではあるが、文化の守り手であるべき皇室によって、今後も長く保存されることを願ってやまない。そして、動くことのなくなったプリンス・ロイヤルが、この国のクルマ社会に文化の息吹をもたらす一助となることを祈っている。

尚、皇室で使用されていたプリンス・ロイヤルのうちの一台は、立川にある昭和天皇記念館に展示されており、だれでも見学することができる。

文:板谷熊太郎(Kumataro ITAYA)

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