ヴォアテュレット MASERATI II|JACK Yamaguchi's AUTO SPEAK Vol.15

インディアナポリス・スピードウェイに勢ぞろいした3台マゼラティ。左1939、40年インディ500優勝"Boyle Special"8CTF、中:V4 16気筒ザガート・ロードスター、右:1930年インディ500で12位フィニッシュしたティーポ26B。(Photography:Jack YAMAGUCHI)

『逸脱』とは「本筋からそれること」 ヴォアテュレット本題から外れる価値のあるメガ・マゼラティに立ち寄ることにする。

1926、27年ヴォアテュレット(1.5L)規則で開催されたグランプリは、1928年から重量規定フォーミュラに変わる。実質的フォーミュラ・リブレ(自由)で、重量規定さえ満たせばエンジンは自由(リブレ)であった。レーシングカー・コンストラクター社の社主となる4男アルフィエリ・マゼラティは、ティーポ26、DOHC直列8気筒エンジンをボア、ストロークアップし、2Lクラスに参戦する。

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一方で、アルフィエリは、新GPカーとして2Lエンジン2基を繋げたメガ・マゼラティ・"ティーポV4"16気筒の設計、製作にかかる。2月基の直8シリンダーを、一体クランクケース上に12.5°の角度に取り付け、2本のクランクシャフトをギア連結、動力を取り出すというシステムを開発した。よって、V16より"U16"がより適切な形容である。4本のカムシャフト、32個のバルブ、2基のルーツ型スーパーチャージャー、特製ウェバー気化器などを含む部品は3000点を超えた。ボローニャの小工場の技術力を示すエンジンだ。最高出力は305hp/5200rpmと記録されている。

アルフィエリ・マゼラティが製図板に向かった1年数カ月後、彼が駆るV4 16気筒がモンツァでの1929年イタリアGPグリッドに並んだ。第1ヒートでは、リードするメルセデス・ベンツSSKのテールに迫り、2位でフィニッシュ。ファイナルでは故障でリタイアした。初戦としては上々であった。その後はトラブルが続発した。シャシーはチャンネル材による梯子フレーム、前後縦置き板バネ支持のリジッドアクスル、機械作動ドラムブレーキ、そして当時のタイアでは強大なパワーを持て余すのは当然だ。

翌1930年の高速サーキット、リビアでのトリポリGPではV4は優勝を遂げた。マゼラティは、アメリカ市場に興味を抱き、V4をインディアナポリス500に送り込む。しかしインディ規則でスーパーチャージャーを外したので精彩を欠きリタイアに終わった。

インディ・グランドスタンド前にマゼラティ3台並べたのは、8C、V4の挑戦と後年の8CTFによるインディ500、2年連続優勝を記念してのイベントであった(注:V4は後述のロードカー)。

1930、31年のV4によるヨーロッパ戦績は、タイア問題にり足を引っ張られ振るわず、31年のローマGPではアルフィエリ自身がドライブして優勝した。次にマゼラッティは、エンジンを5L強化したV5を打ち出すが、これは"魔車"で、速度記録挑戦での死亡事故などが発生した。

V4オーナーのひとりがローマ教皇侍医となるリッカルド・ガレアッツィ博士で、身分を隠し異名でレースに出るほどのエンスージアストであった。博士所有のV4でレース出場したGPドライバーがクラッシュ、ボデイは大破した。博士はウーゴ・ザガートに託し、ロードカーに生まれ変わらせた。インディに並んだグリーン・ロードスター、登録ナンバー"33387Roma"がその車で、健在である。

文・写真:山口京一 Words&Photography:Jack YAMAGUCHI

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