これがアストンマーティン?まるで知らない星から来た生き物「アトム」

Photography:Simon Clay

未来的な「アトム」は、アストンマーティンの歴史において特に大きな意味を持つワンオフだ。公の場に姿を現すことの少ない貴重な車をOctaneがドライブした。

これがアストンマーティンとは、ちょっと信じられない。ボディは流線型だが、ずんぐりしていてスポーティーではないし、レースとも縁がなさそうだ。むしろ、知らない星から来た生き物のように見える。下手に近づいたら、転送ビームを浴びてはるか彼方の星へ送られてしまいそうだ。

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それに、やたらと三角形のモチーフが目に付く。まず気がつくのはボンネットやグリルだが、見れば見るほどあちこちが三角形に見えてきて、まるでサブリミナル効果だ。どこにも直角のデザインが見当たらない。

この車が発表されたのは、第二次世界大戦が勃発する直前の1939年だから、大衆の第一印象も似たり寄ったりだっただろう。これほどあからさまに先進的な車は誰も見たことがなかった。しかも、車名は原子を意味する「アトム」である。5年もたてば嫌でも広く知られるようになる言葉だが、当時まだ原子物理学は一部の知識人にしかなじみのないものだった。

アストンマーティンのオーナーだったゴードン・サザーランドは、そうした知識人のひとりで、社会の変化を理解し、自動車市場の未来について熟慮を重ねていた。人々は長距離移動をするようになるに違いない。飛行機や列車の旅は今後も急速に発展していくだろう。オリエント急行や夜行列車のトラン・ブルーなどが来るべき時代を示唆している。

そう考えたサザーランドは、アストンマーティンの哲学に則ってスポーティーでありながら快適さも合わせ持つサルーンを投入することにした。最新式のブガッティやベントレーのように流線型のボディを持つ車だ。1939年にプロトタイプの開発に着手したサザーランドは、極限まで小さく、速く、パワフルなものという意味で「アトム」と名付けた。

その名の通り、たしかに小さい。よく見ると、後部座席のドアは異様に小さく、出入りするだけでも冒険だ。こうなった理由には諸説あり、4ドアを義務付けていたル・マンにサザーランド自ら出場しようと考えていたから、あるいは材料が不足していたからではないかと言われている。単にサザーランドが自分の体格に合わせて車を造っただけ、と
いう説もある。

サザーランドは開発チームを熱心に監督し、設計主任のクロード・ヒルの肩越しに進捗具合を見守った。アトムに盛り込まれた構想の多くはヨーロッパ大陸の車に由来するものだ。サザーランドは大陸の先端技術を高く評価していた。所有する90台の車は大半が大陸のもので、その最良の技術を組み合わせてプロトタイプに取り入れようと考えたのである。ボディはアルミニウム製で、それをスチールのチューブラーフレームに架装した。エンジンはフロントに搭載し、当初は1950ccの4気筒SOHCで、ゼニス製キャブレター2基を装備。コタル製の電磁式4段セミオートマティックギアボックスと、ソールズベリー式ハイポイド・リアアクスルを介して後輪を駆動した。フロントサスペンションは、サザーランドが考案して特許を取得した独立式だ。



車内には、飛行機風のハンモックシートを採用した。サザーランドは飛行機に並々ならぬ関心を抱き、開発の初期段階には、飛行機の速度センサーを流用したほどだ。サザーランドは、1930年代初頭にドイツで行われた三角翼の初テスト飛行にも注目しており、それが三角形のモチーフにつながったのかもしれない。ボンネットのオーナメントも三角翼だ。アトムのために特別にデザインされたもので、ボンネットの開閉装置も兼ねている。横から見れば、アストンマーティンのロゴを半分に切った形だ。

現在、アトムは完全な機能を備えた史上初のコンセプトカーだと言われている。しかし、サザーランドにとってはあくまでも実験的な車であり、戦中から戦後にかけて約15万kmもの走行を重ねた。1941 年にはチェシントンで行われたラリーにも参戦している。裕福な実業家が集まって士気を高めようと開催したものだ。レースどころではない時勢で、燃料も配給制だったが、超モダンなアトムは明るい未来の到来を予感させる存在だった。

戦争によって生産開始はお預けとなったが、サザーランドは自信を持ってアトムをメディアに公開し、好評価を得た。1941年に『Autocar』誌はこう書いている。「そのサルーンボディは、1939年に当たり前と考えられていた英国自動車の慣例を打ち破っている。…快適で便利な未来のスポーツカーだ」1942年には、『Motor Sport』誌が「あらゆる面で勝者であることを実際の走行で確信させるマシン」と称え、『Motor』誌のローレンス・ポメロイも「この車こそ、自動車の新たな基準を目に見える形で体現したもの」と絶賛した。

翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA Words:Martin Van Der Zeeuw 

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