世界初 マクラーレンF1をファクトリーでレストア│心臓が止まるかと思うほど騒々しいノイズ

Photography:Tim Scott, Restoration photography:Patrick Gosling / Tim Scott

マクラーレンF1をレストアするなら誰に依頼すればいい?その答えは、もちろんマクラーレン自身だろう。ル・マンに参戦したヒストリーを持つ特別なレーシングスペシャルがいかにレストアされたかを、マーク・ディクソンがリポートする。

文字どおりの、耳をつんざくようなエグゾーストノートだ。淡いブルーにペイントされた"ミサイル"は、テストコースのバンクに差し掛かるとその最上段を疾走していった。鋭く突き出たノーズは、まるでガードレールの内側で固唾を呑んで見守る数名の関係者を目がけて突進していくかのようだ。ブーンと長く尾を引く暴力的な騒音はいかにも不気味で、第二次世界大戦で活躍した戦闘機の巨大なエンジンが発する排気音を彷彿とする。

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やがてマシ
ンが目の前を駆け抜けると耳を聾するノイズの性質も一変し、ル・マン仕様の6リッターV12エンジンは疾風怒濤のエンジン音を4本のエグゾーストパイプからまき散らし始める。その直後、今度はストレートカット・ギアを用いたシーケンシャル・マニュアル・ギアボックス特有の高周波音が折り重なるようにしてあたりに響き渡った。

一時的に耳が聞こえづらくなった我々にできることといえば、互いに意味のない薄ら笑いを浮かべることしかなかった。これまでの2年間、F1 GTRロングテールを1997年のル・マン24時間に参戦したときとまったく同じ状態にレストアするという作業に取り組んできたマクラーレン・スペシャル・オペレーションズの面々にとって、今回の最終テストはひとつのクライマックスだった。シャシーナンバー25RをつけたこのF1はマクラーレン社内でレストアされた最初のマシンであると同時に、マクラーレンが新たに始めたサーティフィケーション・プログラムによって公式に認定された最初のF1となった。まさに、新時代を切り拓くまたとない瞬間であり、本当に特別な1台といえるだろう。



マクラーレンF1は1台残らずすべて特別だ。ただ、この
シャシーナンバー25Rが他のF1よりも「さらに特別」というだけの話に過ぎない。『Octane』は2007年に3台のGTR"レースバージョン"を一堂に集めて特集を組んだが、そのときF1の生みの親であるゴードン・マーレイの語った言葉が残されている。

「1995年のル・マンで、シンクロメッシュ・ギアボックス
を備えたロードカーが並みいるプロトタイプを打ち破って優勝したことは、私にとって最高の思い出です。初出場のマシンでル・マンを制することは、F1世界選手権で連覇を成し遂げることよりも難しいと私は思います」

このときゴードンは、レースに出場することを一切想定せずに開発されたロードカーでル・マンに勝つという、まるでおとぎ話のような出来事を振り返ったのである。繰り返しになるが、ゴードンがデザインしたのは純然たるロードカーで、そこにはなんの妥協もなければ、あいまいな部分さえまるでなかった。しかし、同じ特集のなかでゴードンはこうも語っている。

「それでも、私が当時気づいていなかったことがひとつあり
ます。もともとレース畑を歩んできたせいで、私は無意識のうちにレーシングカーにも通用する考え方でF1をデザインしていたのです。私たちがF1をレースカーにモディファイしたのは、強い意志を持つふたりの顧客に依頼されたからですが、おかげでこれはごく簡単な作業だけで済みました」

こうして、最小限のモディファイが施されたF1は初参戦にしてル・マンで総合優勝するという快挙を成し遂げたのだが、これはいままでのところ空前にして絶後のことである。

あれから11年が過ぎた。ただし、今回取り上げるシャシーナンバー25R は"ロングテール"のF1 である。多くのGTRよりも25インチ(約63.5cm)長いロングテール・モデルは、1997年のレースシーズンに向けて開発された。この年始まったFIA GT選手権には、規則によってロードカーと認められる最小限の台数のみ揃えたプロトタイプと見紛うばかりのワークスマシンがエントリーしていたが、こうしたライバルと互角に戦うためにロングテールは生まれたのだ。

5台のGTRとともにこの年のル・マンに挑んだシャシーナンバー25Rは、オイルクーラーのパイプに小さな亀裂が入ったため、レース中に火災を起こし、リタイアに追い込まれてしまう。パイプの異状はレース後に見つかったものだが、これはソリッドマウントしたエンジンが生み出すバイブレーションが原因だった。同じ年のル・マンで総合2位に入ったシャシーナンバー20RのF1 GTRに使われたオイルパイプは、現在、マクラーレン・テクノロジー・センターに展示されているが、それを見ると、このパイプにも亀裂は発生していて、いつ破損してもおかしくない状態だったことがわかる。

ただル・マンを戦っただけでも十分に価値はあるが、シャシーナンバー25Rは印象的なオレンジとブルーをあしらったガルフ・カラーにペイントされていた。これは、同年、イギリスのチームであるGTCがエントリーした3台のうちの1台だった。前年の濃いブルーは、メタリックの効果を出す粒子があまりに重かったため、1997年は採用されなかったと噂される。その後、いくつものレースに参戦した25Rは様々なカラーにペイントされたが、レストアのためにワークショップに戻ってきたとき、どのカラーリングにすべきかで議論されることはなかった。それだけでなく、「誰がこの作業を行うか?」について異論を述べる者さえひとりもいなかった。

編集翻訳:大谷達也 Transcreation:Tatsuya OTANI Words:Mark Dixon 

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