世界初 マクラーレンF1をファクトリーでレストア│心臓が止まるかと思うほど騒々しいノイズ

Photography:Tim Scott, Restoration photography:Patrick Gosling / Tim Scott



エンジンのリビルドはとりわけ難しい作業だった。日本から届いたとき、25RにはスペアのV12エンジンが搭載されていた。これも取り引きの条件に含まれていたのだ。いっぽう、1997年のル・マンで使われたオリジナル・エンジンは、そのほかのスペアパーツとともに木箱に収められていたものの、コンディションについては不明だった。幸いにも、エンジンのリビルドに関してはBMWモータースポーツの全面的な協力が得られ、不足していたパーツの供給を受けることができた。ご想像のとおり、レース用エンジンはシーズンを通じて休みなく開発が続けられたので、正しい仕様の部品を手に入れるのは極めて困難だったのである。

用意されたパーツはすべてGTR用だったが、ル・マンが開催された1997年6月時点での仕様を再現するには、たとえばその年の7月や8月に実施された技術的なアップデートをすべて排除しなければならず、このためラッセルは何度も見直しを行わなければならなかったという。このように細部に至るまで完璧なリストアを実現するため、ラッセルたちはいつ終わるとも知れない作業を続けていったのである。たとえば、ル・マンで用いられる屋根の上の識別灯はマクラーレンが造ったものではない。

それは航空機の翼に取り付けられ
たライトとよく似ているが、そうであることを彼らは証明する必要があった。最終的にラッセルは、ウィーランという会社が航空機用に造ったライトのハウジングであることを突き止めると、アメリカの航空機払い下げ品販売店でそのパーツを手に入れたのである。いっぽう、識別灯に使われた青いレンズはアメリカの別の払い下げ品販売店で見つけ出したもの。ゴルフボールに似たシフトノブはカメイ製で、車のレストアを行ううえでいまやなくてはならないeBayを通じて入手した。



インターネット上のオークションサイトは、ル・マンを戦ったGTCレーシングチームとレストアされた25Rを再会させるきっかけも生み出した。「ラス(ハンコックス)は1997年にACOが発行したその年のル・マンに関する本を探していました。そこに25Rの写真が掲載されていることを、私たちは知っていたからです」 そう語るのは、マクラーレン・ヘリテージでマネージャーを務めるトーマス・ラインホルトである。「彼はeBayでお目当ての本を見つけたのですが、その売り主は、なんと1997年にGTCのチームリーダーだったマイケル・ケインその人でした。私たちはマイケルと当時レースチームで働いていたふたりのメカニックをテクノロジーセンターに招くと、レストア中の25Rを見てもらいました。そして細部に関する彼らの記憶をレストアに役立てたのです。それはとてもエモーショナルな瞬間で、とりわけエンジンに火を入れたときは感動的でした」

11月にも関わらず好天に恵まれたある日、ミルブルックのテストコースで25Rは2度目の走行ならびにレストア作業後のファインチューニングを実施した。この日の出来事も実に印象的だったといっていい。その前夜、ラッセル・ハンコックスは細部に至るまで完璧に仕上げられたボディワーク(ペイントはスペシャル・オペレーションズのマイク・フラーがインハウスで実施した)を跳ね石から守るため、夜中までかけてブルーのテープでラッピングを施していた。ステアリングを握るパニ・ツァーリスは14年以上にわたってF1に携わってきたベテランの技術者である。

編集翻訳:大谷達也 Transcreation:Tatsuya OTANI Words:Mark Dixon 

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