パキスタン、スコットランド、南アフリカを旅したマハラジャのロールスロイス

インドのマハラジャに最初にデリバリーされたというヒストリーを持つ64AB。シルバーゴーストは機械部分の寿命が長いため、何度もボディを載せ替える。現在は4番目のボディだ。(Photography:Gensho HAGA, MCL)

2017年6月、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードで開催されたボナムス・オークションに、1台の1914年製ロールス・ロイス・シルバーゴーストが現れた。多くのバイヤーが注目するなか、日本のワクイ・ミュージアムの関係者によって落札され、太平洋をわたった。

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『The Best Car in the World』を標榜するロールス・ロイス社だが、その言葉の象徴として捉えられているモデルが、同社が1907年に放ったシルバーゴーストであろう。今から110年も前のモデルだが、現代まで続く同社の伝統を形作った象徴として知られ、現在でもその存在感に揺るぎはない。

19世紀の後半に誕生したガソリンエンジン自動車は、普及を目指して足早に熟成され、企業化が進められていったが、20世紀初頭になっても、まだまだ信頼性については疑問符が外れなかった。

この時期に電気技術者として知られた存在であったフレデリック・ヘンリー・ロイスは、信頼性の向上を到達目標に定めて、自動車開発に取り組んだ技術者であった。自動車史研究家の大家、故L.J.K.セトライトは、著書『The Designers』のなかで、フレデリック・ヘンリー・ロイスの墓には Mechanic と刻まれていると記している。これこそ、メカニズムに対して完璧主義を貫いた技師であることの証であろう。

経済的に豊かでない製粉職人の息子として生まれたロイスは、苦労の末に起業し、呼び鈴製造から始め、電動ウィンチや発電機の生産によって成功を収めていた。当時の彼を支えていたのは、ロイスが技術開発に集中できるような環境を作った、共同経営者のクレアモントの優れた商才にあった。そうしたロイスは、次なる事業の対象として今後の市場拡大が見込まれる自動車に着目すると、フランスのドコーヴィル(Decauville)車を購入して自動車技術を体験、会得しようと考えた。ところが、その品質と使い勝手の悪さはロイスをひどく失望させることになった。ロイスは待望の車をロンドンの貨物駅で受け取ったが、それはまったく動く気配がなく、クックストリートにあったF.H.ロイス社まで4人で押して運ばなければならなかったという。信頼性こそが製品にとって最も重要な要素であるとの信念を抱き、それによって顧客からの信頼を得て事業を成功させていた彼にとっては、この品質は許せるものではなかった。

ドコーヴィル社は鉄道車両製作のほか自転車も手掛ける企業であり、当時、フランスでは最大級の自動車製造会社であったド・ディオン・ブートンとともに自動車生産に参入し、後に自社生産に乗り出したという経緯がある。それゆえに、ドコーヴィルがどうにもならない粗悪品であったとは考えられず、むしろ、当時の自動車の品質はこの程度であったのだろう。これを機にロイスは『The Best Car in the World』の車造りに注力することになる。そして、彼の才能に注目し、パートナーに名乗り出たのが貴族の事業家、チャールズ・スチュアート・ロールスであった。

チャールズ・スチュアート・ロールスは、1896年にパリでプジョー製自動車を手に入れたことが転機になって、急速に自動車の魅力に引き込まれていった。この時代、自動車の先進国は、いち早く自動車生産の企業化に取り組んだフランスであり、車といえばフランス製が主流で、レースも盛んに開催されていた。これに対して英国は、自動車の使用を厳しく制限した悪法(赤旗法)によって、はるか後方に取り残されていた。ロールスは、親友のクロード・ジョンソンとともに自動車輸入販売会社のC.S.Rolls & Co.を創立し、フランスのプジョーやベルギーのミネルヴァを扱い初めた。だが、ロールスにとって、扱うべき英国車がないことが大きな不満であった。

その頃、ロイスは自身の工場の中で3台の試作車の開発に没頭し、1904年に水冷直列2気筒エンジンを搭載した10HPを完成させた。優れた品質を得るため、吟味した良質な材料を使用したうえで、高い工作精度によって加工することによって、完璧なクオリティーを徹底的に追求した車だった。ロイス車の存在を知ったロールスは、1904年末に独占販売権を得て、Rolls-Royceを車名に決めると、1906年3月にロールス・ロイス・リミテッドを発足しさせた。

ロイスの完璧を追求する技術力。ロールスの貴族としての社会的地位と信用。クロード・ジョンソンの商才。この組み合わせによって最高の車づくりへの道筋ができた。

文:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Words:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 写真:芳賀元昌、MCL Photography:Gensho HAGA, MCL

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