完璧にレストアされた最高にエキゾチックな1台│強烈で肉体的なドライビング体験

Photography:Tim Andrew



希少で高価な車だけに、路面が凍結しそうなコンディションで限界を攻めたとは到底いえない。それでも、直線が現れるたびに少しずつ回転を上げていき、コーナーではブレーキングを少しずつ遅らせ、アクセルオンも早めていった。するとビッザリーニはそのすべてに悠々と応えるのだ。レース仕様は、軽量なグラスファイバー製ボディや、後期には7リッターのエンジンを備えたものもあるから、さぞかし痛快に違いない。

この驚異的な車をオリジナルの仕様に戻したベリーマンの心意気や、ソーンリー・ケラムの技術には尊敬の念を禁じ得ない。とはいえ私は、自分ならどんな変更を加えるだろうかとぼんやり考えていた。ビッザリーニ自身も可能な限り手を加えて進化させ続けたのだから、それもアリだ。私が出した結論は、もっとホットなエンジンを載せること。

450bhpもあれば十分
だろう。音量ももう少し上げたい。GTカーではないのだから、サウンドを強調してドラマチックにしたほうがよく似合う。あとはエアコンだ。数kg 増えるが、使いやすくなることを思えば小さな代償にすぎない。そうそう、何かにぶつけるのはご免だから、サイドミラーも忘れてはいけない。

だが、手を加えるとしてもその程度だ。それほど全体が見事にまとまり、時代を色濃く感じさせるのである。ジョット・ビッザリーニの波乱の人生や、ル・マンでの成功、華麗なる250GTOとの関連を抜きにしても、素晴らしく胸躍るユニークな経験だった。外観はもちろんのこと、上体を倒して腕と脚を伸ばしたドライビングポジションも、私はすっかり好きになった。美しい曲線を描くフェンダーが目と同じ高さで風景を切り取るあの眺めも格別だ。何より、強烈で肉体的なドライビング体験は、その姿と名前から連想する通りにエキゾチックで、想像を裏切らない。

今や92歳になるジョット・ビッザリーニは、エンジニア界の巨人である。特に1960年代初頭の仕事量は他の追随を
許さない。250 GTOにイソ・グリフォ、ATSのロードカーとF1マシン、すべてがその頭脳から次々と生み出された。



この時期にビッザリーニが関わった重要なプロジェクトがもうひとつある。フェルッチオ・ランボルギーニの依頼で、フェラーリの対抗馬である350GTのために新たなV12エンジンを設計したことだ。1963年に初始動した3.5リッターのエンジンは、9000rpmで370bhpを発生した(ビッザリーニは1万1000rpmで400bhpにまで高めるつもりだった)。これがミウラ、カウンタック、ディアブロ、ムルシエラゴに搭載されていく。

これほど多くの重要なロードカーやレーシングカーで中心的な役割を果たしたエンジニアはほとんど例がない。その名を冠した車をドライブするのは、まさにスペシャルな経験だった。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo. )  Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Jethro Bovingdon 

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