文句のつけようのないアストンマーティンDB5コンバーチブルを走らせる 

Photography:James Lipman

DB5が1960年代のアストンマーティンを代表する車であるならば、ヴァンテージ・スペックを持ったコンバーチブルは求めうる頂点にあるといえるだろう。それを体現した車がここにある。

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いくら寒いイギリスであっても、南部の海辺の街、ビアリッツ
で春に雪が降ることはまずない。イースト・サセックスを通り、ノーマンズベイに向かってアストンを走らせていたとき、私たちはこのめったにない事態に遭遇した。アストンの流れるようなボディラインの上に粉雪がしんしんと降り積もっていく様は、さながら映画のワンシーンを観ているかのようだった。私は完全に60年代に引き戻されていた。そのときのビアリッツは、映画俳優やセレブが好むモンテカルロと化していた。ビスケイ湾沿いの道を飛ばしていると、いつしか横にはグラマーな女性が座っていた。目指すはオテル・ド・パリ。到着したらマティーニを2、3杯引っかけてからカジノに繰り出そうか。

DB5ヴァンテージ・コンバーチブルはそんなシーンによく似合う。シャシーナンバーDB5/2121/Lのこの車は、ペルー人のヴァージニア・エスピノーズ夫人が購入し、1965年11月に彼女の住むリマにデリバーされた。登録簿には65年1月1日にロンドンでDGY334Cのナンバーを受けたとの記載があるが、これはペルーの輸入関税を回避したためと思われる。

現在は黒で統一されたボディだが、調べるとオリジナルのボディ塗色はデュボネ・ロッソと呼ばれる赤で、幌もインテリアにマッチした黄褐色だったようだ。エース社の"シルバーピーク"というナンバープレートやエイボンのターボスピードGTホワイトリボンタイヤも、あとから付けられたものだ。

DB5コンバーチブルは直前のモデル、DB4コンバーチブルの正常進化版で、時を経ても最もチャーミングなアストンの一台であることに変わりはない。DB4のルーフを取り去りつつも剛性を確保した構造設計は、トゥーリングではなく自社内で成し遂げたものだ。具体的には、折り畳み式幌を格納する下の部分やリアシートの下、さらにサイドシルに補強板が入っている。コンバーチブルはサルーンに対してウィンドスクリーンが少し立っており、そのため1インチほど背が高いという細かい違いも挙げておこう。

DB5はDB4シリーズ5の特徴のひとつである3インチ(約7.6cm)長いホイールベースを踏襲しており、多くの点でDB5コンバーチブルはDB4コンバーチブルの最終仕様をそっくり受け継いだ車といえる。覆いのついたヘッドランプやボンネットのふくらみといったフロントのエッセンスは、当時流行のデザイン手法だが、アストン・コンバーチブルは早くからこれらを取り入れていた。さらにいえば、DB4の格好のいいスチール製ハードトップは、DB5でもオプションとして残された。もちろん両者に違いはある。最も顕著なのがパワートレーンで、DB4の3.7リッターエンジン/4段型自社製ギアボックスは、DB5になって4リッターにスープアップされるとともにZF製の5段に置き換えられた。

DB5は生産終了までに123台のコンバーチブルが販売された。DB4は70台だったから大いなる躍進といえよう。それ以外に37台のシャシーが、コンバーチブルの後継たるショートボディのヴォランテ(ドロップヘッドの意味)のために生産されたから、それを加えるともっと数は増える。コンバーチブルがDB5になってからは、バンパーが分割式になり、オイルクーラーのエアインテーク形状が変わり、リアランプが一体化され、内装も変更された。123台のコンバーチブルのうち65台には314bhpのヴァンテージ・エンジンが搭載されたこともニュースだった。左ハンドルはその
うちわずか39台にすぎない。ということは、いまここにある車はかなりレアな車といってよいのではないだろうか。

編集翻訳:尾澤英彦 Hidehiko OZAWA Words:Paul Chudecki 

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