追悼 ジャガーの伝説 ノーマン・デュイス

Photography:Paul Harmer


 
「率直で正直でなければならん。かつて彼らの多くは『あ
んたらは過剰性能を目指してる』と言った。『そうじゃない。わしらは、わしらがやった仕事からベストを生み出さにゃならん』とわしは言ったよ」

さらにデュイスは1950年代、1960年代を回顧する。
「あんたの部下のエンジニアが新しいギアボックスとか、何か違ったものを設計する。で、あんたらはそれが十分完全で承認に足るものかどうかをテストするようセットアップする。ほとんどの場合は承認できない。失敗だ。彼らはちょっと失望し、ビル・ヘインズのところへ行って言う。『デュイスさんが承認しないんです。多少大目に見るよう彼に言っていただけませんか?』とな。するとビルは言うだろう。『ダメだ。ノーマンが満足できるまで、私のところへ来ても無駄だ』」

テイラーがこう続けた。「ノーマンは重要なキーパーソンと見られていました。特に私が参加した頃は。人は彼の噂を聞き、評判で理解しました。『ノーマンはまたもMIRAにいた。そして何それをやった、云々』と。それはまるでプライベート・メンバーズクラブみたいだった。ノーマンを知らなければ肩身が狭く、一旦、ノーマンと一緒にMIRAに行ったりできれば、選ばれた少数のひとりになれる。つまり彼の評判は彼に先行してひとり歩きしていたわけです」

アボットはこう証言している。「皆、実験グループに入りたがっていたんです。なぜなら、そここそが禁断の閉じられたドアの向こう側の、エキサイティングなものがあるところだからです。実験部門の頂点はノーマンと彼のテスト部門で、車をドライブできるのは極めて少数の人間に限られていましたが、選ばれた彼らの多くは工場の外でのドライブを許されました。なので、もし何かをテストしたかったらノーマンに託すことでした。ジャガーの誰もがノーマンを知っていました」

4人は古い写真を懐かしそうに捲っていた。ここでの会話の中には、残念だが記事にはできない愉快な逸話も飛び出していた。デュイスが、ジャガーの現在のモータースポーツプログラムについてちょっとした小言を言った際、デュイスのMIRAのラップタイムレコードがマクラーレンF1に破られたことが話題になった。デュイスにとって、これは、今でもあまり面白い話題ではないようだ。またアボットは、デュイスが何年もの間アスベストを含むブレーキダストからニコチンに到るまで、多くの汚染物質を吸い込みながら、長生きできるのか分からないと言った。「デュイスの寿命は間違いなく健康食とは関係がない。彼はサンドウイッチをオーダーするとき、『シンプルなハムとチーズだけでいい。レタスはウサギにでもやってくれ』と、そんな調子さ」



外にはバーニーが持ち込んだ、今話題のI-PACEと、テイラーの素晴らしいコンディションのEタイプシリーズⅠが待っている。そろそろ取材を終わらせる時間だ。彼らはかつて働いた工場を示す小さなサインがあるブラウンズレーンを通って帰って行った。ここには工場を背にして多くの家があり、「ライオンズ通り」、「セイヤーズ ドライブ」と名付けられた道もあるけれど、「ノーマン・デュイス通り」というのはまだない。そろそろあってもいい頃だろう。

編集翻訳:小石原耕作(Ursus Page Makers) Transcreation:Kosaku KOISHIHARA( Ursus Page Makers) Words:James Page 

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