ル・マン参戦のために設計されたアストンマーティンが公道用に仕立て直される?

Photography:Gus Gregory

ル・マン24時間のために設計され、その後公道用に仕立て直されたDB3Sのクーペ仕様は、すべてのアストンマーティンの中でも最も珍しいもののひとつである。現在は2台しか存在しないが、今回我々はそのうちの1台を走らせることができた。

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ジュリー・クリスティやケイト・ベッキンセイル、ロザムンド・パイクといったイギリス出身の女優がデビュー間もない頃に映画で果たした役割、そして彼女らがいかに観客を魅了したかということを考えてみてほしい。私の考えでは、アストンマーティンのDB3Sがデビューした時に巻き起こったある種の反応も、それと同じようなものだった。そしてオードリー・ヘップバーンやシャーロット・ランプリング、サフロン・バロウズなども加えていいが、あらゆる点で古典的な英国を象徴するDB3Sのクーペ仕様が登場した時にも、この考えが再び当てはまった。

しかし、美女は他にも多数存在するのに対し、DB3Sクーペは
わずか3台しか製作されなかったという点で比べられるものがほとんどない。この非常に魅力的なアストンマーティンが存在するということ自体が、驚くべきことなのである。

DB3Sは国際的なレースで非常に印象に残る成績を残し、成功を収めたが、1950年代のすべてのアストンマーティンのレーシングカー同様、排気量のより大きいエンジンを用いていたライバルたちに比べて、常に絶対的なスピードに欠けていた。その不利さは、素晴らしいコーナリング性能と効率的な空力性能によってしばしば埋め合わせられたが、ル・マンのユノディエールのような長い直線路においては損失をもたらした。

当時
アストンマーティンを率いていたデイヴィッド・ブラウンにとって、このフランスの24時間レースに優勝することは何より重要なことだった。優秀な設計者であったウィリー・ワトソンが手がけたツインカムの直列6気筒エンジンは、初期の2580㏄から2922㏄へと排気量がアップされ、50年代の終わり頃にはより大きいパワーを発揮していたが、アストンマーティンのレース計画においてはそれまでより滑らかなボディが重要視された。

DB2とDB3のレース仕様のスタイリングは、フェルサムの工場に在籍していた才能豊かなデザイナー、フランク・フィーリーが担当した。1952年のル・マンで、フィーリーはDB3にハードトップを装着することで、初めてレース用のクローズドボディを経験した。もっとも、このマシンはわずか10周しただけでデフの破損によりリタイアに追い込まれたため、その効果はほとんど分からなかったが。このハードトップはその後二度と使われることはなく、10月にはハッチバック仕様のDB2/4が再び登場した。

編集翻訳:工藤 勉 Transcreation:Tsutomu KUDOH Words:Paul Chudecki 

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