改造クラシックカーの域を超えた実力をサーキットで試す!

Photography:Paul Harmer



仲間内では"ワイドボーイ" オブライエンという名で知られているコナーは、とても愛想のいいアイルランド貴族にして、元英国陸軍大尉で、爵位を1982年に受け継いだ。装甲騎兵連隊の一員として世界各地で10年間勤務し、その後極東地域で自身の貿易会社を7年間経営したが、この年に一族の領地を再興するために戻ったという。彼はまたアイリッシュ・フェスティバル・オブ・スピードの共同創始者であり、名誉会長でもある。

しかしながら、360bhp以上を生み出すクラシック・サラブレッドがビギナー向けでないことは明らかだ。コナーは普通の初心者とは言えなかったが、DB4を手に入れた後、どのように操るべきか真剣に悩んだという。



「2002年の冬は最悪だった」とコナーは当時を振り返る。「正
直『何てことしてしまったんだ!』と思った。車を買ったはいいが、レースをしたことはない。このパワーを初めてのレースで使いこなせるのかと不安だったが、実際には何とかなった。何とかなったが、最初のレースは黒旗を提示され、失格になってしまったがね」

とはいえそれはアストンのドアがきちんと閉まっていなかったせいだった。コナーはレースに熱中するあまり、オフィシャルのフラッグに注意を払うのを忘れてしまったのである。

2003年のシーズンが始まる前に、彼のDB4は有名なコリン・ブロワー・モータースポーツで徹底的なリビルドを受けた。4.2リッター直6エンジンは信頼性の面で4.2リッターの限界と目されていた364bhp/6400rpmと319lb-ft/5000rpmを生み出していたが、第一級のエンジン・ビルダーのアストン・エンジニアリングの手で改めてリフレッシュを受けた。同時にアストン・エンジニアリングはギアボックスおよび、ダブル・ベアリングとツイン・ブレースを備えたリアアクスルも製作した。

レースを重ねるにつれ、コナーの成績は徐々に上向いていった。2005 年にアストン・エンジニアリングは、4511 ㏄ユニット(382bhp、349lb-ft)をコナーのために作り上げた。これは多くのライトウェイト仕様オーナーが好む排気量で、トップエンドのパワーは若干落ちるものの4.2リッターバージョンよりもずっと強力な中速域トルクが特徴だった。2007年にはコリン・ブロワー・モータースポーツによってさらに軽量化される。なぜかスチール製のままだったエンジンルーム・パネルやバルクヘッド、ドアフレームをすべてアルミ製に置き換え、およそ1100㎏だった車重はレギュレーションの最低重量ぎりぎりまで低減された。

2008年までに4.5リッターエンジンは、強化型エンジンブロックと4ボルト・メインベアリングキャップ、鍛造クランクシャフト、軽量コンロッドとピストン、アストン・エンジニアリングが開発したカムシャフトと改造ヘッド、インレット/エグゾースト・マニフォールド、3基のウェバー55DCO1/SPツインチョーク・キャブレター、エレクトロニック・イグニッションなどを備え、これらによって409bhp/6700rpmと351lbft/5200rpmにまでパワーアップされることになった。この数値は、アストン・エンジニアリングのデイヴィド・ジャックによれば標準ストロークの4.5リッターユニットの限界だという。 

ダブルウィッシュボーンに変更されたフロントサスペンショ
ンのスプリングレートは600~700ポンドに引き上げられ、4度のネガティブキャンバーが与えられた。いっぽうリアのリジッドアクスルはワッツリンクの位置を下げ、ロールセンターを下げている。こちらのスプリングは350~400ポンド。4輪すべてにペンスキーの調整式ダンパーが備わり、さらにその取り付け点はピロボールジョイントに変更されている。フロントブレーキは12.4インチ径のフローティングディスクにAP製4ポットキャリパー、リアは11インチ・ディスクに2ポットのガーリング製キャリパーを装備する。

鍛え上げられたこのアストンでコナーは表彰台の常連となり、2011年にはクラスBの総合タイトルを勝ち取る。玄人はだしのアマチュア、あるいはプロと組んでレースに出場することもあった。「私は59歳になるまでレースをしたことはなかった。上位を走ることなどないと思っていた。だが本物のドライバーと一緒にレースすることでまさに目から鱗が落ちたんだ! 自分より上手な人間と走るたびに、信じられないほど多くのことを学ぶことができる。それこそモーターレーシングの醍醐味ではないだろうか」

編集翻訳:高平 高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA Words:Paul Chudecki 

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