プリンス自動車のインサイドストーリー 第8回│プリンスと創造性

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特にクルマの世界において、日本には創造性がなくヒト真似ばかりしている、といわれていた時期があった。はたしてそうなのだろうか。そもそも、創造とは何だろう。今回はプリンスを中心とした事例を挙げながら、創造性について考えてみたい。

フランス人であるノストラダムスの予言のように、1999年の7の月、地球に恐怖の大王が降臨することはなかったが、日産には1999年4月にフランスからゴーンがやってきた。したがって1999年7月頃は、リバイバルプランの策定に向けた作業が佳境を迎え、日産に働く者はノストラダムスのことなどすっかり忘れていた。ルノーとの人事交流も次第に盛んになり、フランスからの来訪者と連日会議を重ねることになる。

そのような状況下、ルノーの商品企画部門トップも日産を訪れた。彼は着くなり過去の日産車が見たいと言い出した。暇そうに見えたのか、わたしに命が下り、過去の日産車を多く収蔵している座間の記念庫を案内することになった。ルノーでは商品企画部門の要職に就くとテクニカルスタッフと呼ばれるアシスタントがつく。大体は部門のなかから選ばれた若くて優秀なスタッフである。座間にはルノーの商品部門長とそのテクニカルスタッフ、そしてわたしの3人で出かけた。
 
当時の座間は、見学用に整備されていなかったもの
の、今日のように建屋を電気自動車関連のラインに割く必要がなかったので、その分広々としていた。収蔵台数では現在より多い500台近くが隙間なく並び、訪れるものを圧倒した。扉をあけて収蔵庫に足を踏み入れた途端、長身の商品部門長は初代のGT-Rはあるかと訊いてきた。奥の方にあったGC10型のGT-Rのところまで行くと、次はエンジンが見たいとフッドをあけるようせがむ。500台近い収蔵車のなかで、ルノーの商品部門長が強い関心を示したのは、GT-Rに搭載されたS20エンジンだけだった。

フッドをあけて目当てのエンジンが姿
を現すと、傍らのテクニカルスタッフに得意そうに解説を始める。耳をそばだてていると、これが世界初の量産マルチバルブエンジンだ、と話しているように聞こえる。よせばいいのについ補足したくなり、マルチバルブエンジンでは、シングルカムのトライアンフ・ドロマイトが1年早いと思う、と話すと、確かにそうだ、しかし、DOHCの4バルブエンジンを生産車に採用したのは、このGT-Rが世界初である、と返された。


 
今日では至極あたり前の、DOHCマルチバルブエン
ジンを量産車に初めて適用したのがプリンスだったことを、まさかルノーから教えられるとは思ってもいなかった。後にルノースポールのトップになるルノーの商品部門長が、エンジン設計の出身だと知ったのは、この座間記念庫見学を終えてからだった。
 

文:板谷熊太郎(Kumataro ITAYA)

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