ナンバーが付いたポルシェのスーパーカー│911 S/Tをスウェーデンから英国へ

Photography:Gus Gregory

ポルシェ911 S/Tをスウェーデンから英国まで運転して持ち帰る。そんな旅に同行しないかと誘われて、断る人がいるだろうか?

油圧式リフトの横でカメラに笑顔を向けるロルフ・ニールソン(40ページ右上の写真)。その頭の横にぶら下がっているのは、リフトに乗った1971年ポルシェ911 S/Tのタイヤだ。ニールソンがこの車と出会ったのは1989年のこと。ミュンヘン近郊に住むドイツ人オーナーから譲り受けてスウェーデンに持ち帰ったのだ。

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この車とは以来の付き合いで、隅から隅まで完全に知り尽くしている。ただ、何年も前にすでに顧客に売却しており、今回手放すオーナーは彼ではないが、やはり別れは名残惜しいようだ。何と言っても自分の手でリビルドし、レースに参戦し、また修復してきた車である。売却したあともずっと面倒を見てきた。それが今、数千㎞彼方の新天地へ旅立とうとしているのだ。私は他人事ながら一抹の罪悪感を覚え、いたたまれない気持ちになった。

 
だが、それこそがジョシュ・サドラーと私に課された仕事だ。この公道も走れるコンペティション911に乗り、スウェーデン南東部からデンマーク西端までを横断。そこからフェリーで海を渡り、英国に持ち帰って、ジョシュが新しいオーナーに手渡すのである。ジョシュは、オックスフォード近郊にあるポルシェのスペシャリスト「オートファーム」を40年以上前に設立した人物だから、これほど心強い同乗者はいない。アーリー911についてジョシュの知らないことがあったら、それはたぶん知る価値のないことだ。
 
ニールソンは今、トメリラ郊外にある整備工場を1人で切り盛りしている。よく片付いた広い作業場で平日はポルシェのロードカーの整備にあたり、週末はレースに打ち込む。最近はBDAエンジンのフォード・エスコートMkⅠがお気に入りといった具合で、70歳になった今も相変わらず車に明け暮れる毎日だ。そしてポルシェとの付き合いは1974年にさかのぼる。ドイツで買った1969年式の2.0リッター911で地元のラリークロスにいきなり参戦。すぐ3.0リッターエンジンに換装したが、消耗著しく間もなく2台目の911に乗り換えたらしい。自らラリークロス用に仕上げた車であったようで、相当無茶な減量をしたことが整備工場に飾られた当時の写真から見て取れる。
 
ニールソンは、3.0リッターRSRエンジンを積んだこの車で、ラリークロスの1982年イギリスグランプリにも出走した。ブランズハッチで行われたレースはひどいウェットコンディションだったが、見事に優勝を飾った。この時の勇姿は今もYou Tubeで見ることができる。さらに彼はその後、BMWやサーブ、VWなどのパーツを使って独自に四輪駆動の911を造り上げていった。これはポルシェが953で試し、959で完成させるよりもずっと前の話だというから相当なものだ。
 
洋の東西を問わず絶対的に崇拝されているアーリー911の中でも、コンダグリーンの911 S/Tは最高にクールだ。それだけに、おびただしい数の模造品(レプリカではない)も造られてきた。「S/T」は競技用911を指すポルシェのファクトリー用語で、その用語が使われ始めたのは1970年、2.2リッターのCシリーズモデルが発売されてからである。これ以前の競技用911には、様々なクラスのホモロゲーションを取得した各種モデルが存在し、さらにアップグレード用キットも多様で、複雑な様相を呈していた。
 
だが、どんなにチューンアップしても、1991㏄のフラットシックスでは2.0リッタークラスにしか参戦できない。ロードカーポルシェの排気量が2195㏄に拡大されて初めて、2.0~2.5リッタークラスへの参戦が可能になったのである。このエンジンは、さらに排気量を増やせるよう、ストロークはそのままにボア径だけが拡大されていた。さっそくポルシェファクトリーは排気量2247㏄、出力230bhp(標準の2.2Sは180bhp)のエンジンを供給し、その後2380cc、250bhpのエンジンも登場した。S/Tの最終進化形は、のちのロングストローク2.4リッターエンジンを搭載したロードカーをベースにしたものだ。出力275bhpを誇ったが、ひと癖あるモデルだった。それが、ポルシェが2.7カレラRSを世に送り出した大きな理由である。
 
S/Tのドナーは当時のトップモデルである2.2Sだったが、モータースポーツ参戦のため、さらに軽量化して「ライトウエイト」仕様とされた。と同時に、裕福な顧客の要求にも応えられるよう、ロードカーとしての装備も充実していた。これを基本に、自分の参戦スタイルに合わせて仕様を変更できたのである。
 
今回紹介しているシャシーナンバー1251は、ミュンヘンのディーラーであるマハグを通して1971年春にオーナーに届けられた。発注したのが誰であれ、明確なビジョンをもっていたようだ。コンダグリーンは当時流行の色だが、「エアフィールド(飛行場)」と名付けられたギアレシオとロールフープから、その本気度がうかがえる。極めつけが「スポーツイクイップメント」というオプションで、これによって、強化ボディや軽量バンパー、軽量ガラスなど、様々な装備が加わってくる。
 
当時ポルシェはグループ2のツーリングクラスからは締め出されていたが、このようなS/Tはグループ3に参戦することができた。またさらにモディファイを施せばグループ4にも出走が可能だったという。映画『栄光のル・マン』で、ユノディエール・ストレートを走るマックイーンの後方にワイドアーチの911が何台も映るが、あれは皆S/Tである。
 

編集翻訳:堀江 史朗 Transcreation:Shiro HORIE 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Adam Towler 

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