グループCの絶対的存在 ポルシェ962ドライバーが語ることとは?

Photography:John Colley


 
1984年9月30日、WECの一戦、富士1000㎞にロスマンズ・ポルシェ956-83でステファン・ベロフと組んで出場したのは、ワッティにとってひとつのピークだった。彼は、アメリカのIMSAの一戦とかちあって出場できなかったデレック・ベルの代役として参加した。ベルはこのときIMSAの年間チャンピオンがかかっていたのだ。

「富士のレースのことはよく覚えているよ。とくにポルシェがロードカーと同じようなスライド式のシート長調整機構を持ち込んできたことは。レースでステファンが私と交代するためにピットに入ってきたとき、彼はシートを後方にスライドさせるや勢いよくコクピットから出ていき、私は飛び込むようにそのままの位置でシートに着いたんだが、正直何が起きたんだかわからなかったよ。ふたりはほとんど背の高さが同じだったからシートポジションも変わらなかったんだ。だからベルトを締めてすぐにスタートを切ったんだが、私の腕はまっすぐに伸びたままだった。このままだとステアリングを回すために必要な力が入らない。どうすることもできずに本当に困ったよ、あのときは」
 
ふたりは富士でポールポジションを獲り、レースでも優勝したのだからワトソンの言うことは割り引いて聞く必要があるかもしれない。この勝利もあってベロフは1984年の世界耐久選手権のドライバー部門でチャンピオンの座に就いたが、11カ月後にはスパの事故で帰らぬ人になってしまったのは残念だ。ところで、ポルシェやジャガーやトヨタのグループCカーはどのようにして力をつけていったのだろうか?

「みんなも言うけれど、私の経験からいえることは、ル・マンで962のロングテールほど素晴らしい車はないよ」ワッティは続けてル・マンでの体験を語る。「ポルシェはいつでもバランスのとれた車、運転しやすい車を作ってくるんだ。ル・マンではストレートでのスピードを稼ぐために比較的ダウンフォースの少ない状態で走るんだが、それとともによく思い出すのが、1987年に乗ったジャガーは重心が高かったこと。少ないダウンフォースと高い重心、どっちが安心していられたかといえば、ポルシェだよ。空力の効果は小さくても車を抑える方向にもっていってくれることは変わらないからね。ジャガーが他に対して優位に立てたのは、パワフルなV12エンジンがあったからだ。私はそう思っているよ」

「ポルシェはル・マンでは何が求められているかということを誰よりもよく知っていた。少なくとも私が知っている1988年まではね。962はル・マンを走ってもどの車よりも楽しいと感じさせてくれるんだよ。中にはポルシェに近いラップタイムを記録する速い車もいたよ。でもポルシェは低ダウンフォースであってもバランスは悪くない。こんなふうに効率を追求した高度な開発をしてくるので、負けることがないんだと思う」

「1989年、トヨタはとてもよい車を作ってきたけれど、タイヤとのマッチングがよくないこともあって、いい結果には至らなかった。われわれは耐久レースでは最強だったミシュランで走ることができたので問題はなかった。トヨタはやりようによっては本当にいい結果を出せたと思うんだ。日本人はとても几帳面で、最初の5年間は勝つことを狙わずに、長い目をもってレースに臨むんだ。イギリスのチームだったらせっかちだから、すぐに結果を求めようとするけれどね」

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words:Tony Dron 

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