50年以上アストンマーティンDB6ヴァンテージに乗る続ける人物の物語

Photography: Tim Andrew


 
地元のパブで昼食をとりながら、アストンにまつわる冒険の数々を聞いた。1959年にはル・マンでDBR1の優勝を目撃したという。
 
マイケルの父親は、BRDC(ブリティッシュ・レーシングドライバーズ・クラブ)設立者のハウ伯爵と知り合いで、マイケルがル・マンへ行くことを聞いたハウ伯爵がピットパスを手配してくれた。「パスがあったおかげで、すべてピットの上で見ることができた。スタートから全部だ」

「モスにサルバドーリ…、思い出すだけで胸が熱くなるよ。ル・マンには何度か行った。1968年にはDB6でミュルザンヌ・ストレートを走り、120mphを出したよ。だけど1959年に勝るものはないね。1968年には、この車でモナコグランプリも見にいった」

「私は常に燃費を記録しているんだ。あの旅では3000マイル走って平均燃費が22mpgだったんだから大したものさ。モナコに着いたときは駐車場にこのDB6だけだったが、翌朝行ってみたらフェラーリやマセラティに取り囲まれていたよ。そして私たちはグラハム・ヒルの勝利を目撃したんだ」
 
1960年代末にDB6でモナコへドライブする。これ以上クールなことがあるだろうか。しかも、半世紀後も思い出と共にその車を大切に所有している。"金で買えない価値" とはまさにこのことだ。

マイケルのDB6は素晴らしいオリジナルコンディションで、インテリアもすべて手付かずだ。変わったのは、長年の間に参加したラリーやツアーの記念バッジが加わったことくらいである。

マイケルがそのひとつを指さした。「オーナーズクラブの70周年記念に、ウィンザー城で女王とフィリップ殿下の前を皆でパレードしたんだよ」

大きな作業を受けたのは1993年の再塗装だけで、その際もカラーは変えなかった。メカニカル面もすべてニューポート・パグネルを出たときのままだ。

再塗装の際にエンジンのチェックも受けたが、大きく手を入れる必要はなかった。その際、以前アストンマーティンで働いていたスタッフが「これは自分が造ったエンジンだ」と言ったという。見覚えのあるエンジンナンバーに気づき、自分がヘッドカバーに付けた印も見つけた。それが当時の慣習だったのである。


 
最近では息子のデビッドが運転することも多い。デビッドはDB6への深い愛情もしっかり受け継いでいる。なにしろ、生まれたときに病院へ迎えにきたのはもちろんDB6だったし、結婚式にもDB6が立ち会ったのだ。

いつか車はデビッドに受け継がれる。そして、ゆくゆくは孫のジェームズに受け継いでほしいとマイケルは考えている。「まだ2歳半だが、アストンのエンジンをかけるとガレージのそばで飛び跳ねるんだ。この車が大好きなんだよ」

物語はこれからも続いていくことだろう。マイケルは笑顔でこう言った。「私はただ座っていただけさ。車が素晴らしいんだよ」

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO( Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA Words: Peter Tomalin 

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