デレック・ベルがもっとも成功したポルシェ・レーシングカー 956を語る

Photography:Andy Morgan


 
956や962をドライブしていて辛く感じることはなかったのだろうか。伝え聞くところによれば、ドライバーの運動量はすごいということだが。再びベルの言葉を聞こう。「そうねえ、つらいことといったら、我々の車にパワーステアリングは付いていなかったから、ガレージに押されていくとき、いつもシートベルトを外して前のめりになって必死にステアリングを回したことかな。ステアリングが胸にぶつかるくらいに体を起こさないと力が入らないんだよ。けっこう大変だったね。そのときはまだパワーステアリングの付いている車を運転したことはなかったから、違いはわからなかったけどね。

暑い日も大変だった。車の中は65℃以上にもなるんで、正直いって衰弱したよ。24時間レースはとくに消耗したね。でも956はそんなつらいことも吹き飛ばしてしまうほど、いっしょに戦って素晴らしいと思える車だったんだ。とくにハンドリングは最高だ。固定式のリアデフのおかげで、パワーをかけたときでもオーバーステア気味の弱アンダーなんだよね。だからコーナーに入ってから800bpsのパワーをかけると、気持ちよくドリフトに持ち込めるんだ」ニュルブルクリンクをどの車より速く走れた理由はそこにあるのだろう。亡くなったステファン・ベロフが出した6分11秒というタイムはいまだ誰にも破られていないが、ベルは956をリングでそこまで速く走らせられるドライバーはひと握りほどしかいないとベロフを讃える。

「私はそこを956で走ることはもうないと思っていたんだが、君はいまでも速いんだろ?ということで、昨年走るチャンスをもらった。まあ、走ってみたらグリップするところと、小さなバンプや小山なんかでは急にグリップがなくなったりと、けっこう大変だった。あるところでは2mくらいは空を飛んだかな? そんな具合でとにかくグリップする状態が続いたと思ったら突然放り出される、そんな感じ。怖かったよ。

頭を何度もルーフに叩きつけられたしね。飛んだところはニキ・ラウダが恐ろしいクラッシュ事故を起こしたアデナウ橋を過ぎたあとの長い上り坂からちょっとのところで、あそこは二度と忘れないよ。その丘ではまるでヨットに乗っているかのようにずっとジグザグになって駆け上がっていくというのも信じられない光景だった」ベルはステファン・ベロフにも思いを馳せた。ベロフは1984年の世界スポーツカーチャンピオンシップでワークス956に乗って大活躍し、ヨッヘン・マスやイクスを抑えてドライバー部門でチャンピオンになった。



翌年はブルン・モータースポーツから参戦。ワークスの962Cに対して956Bで果敢に戦ったものの、スパ1000㎞で無理なドライビングが祟ってクラッシュ、一命を落とした。「ステファンは逸材だったね。私は彼の行為は忘れてはいけないと思っている。あの事故は抑制がきかない若さゆえ起きたものだ。彼はあのとき車をちゃんとコントロールしていた。だが、心の制御はできていなかったんだ。チャーミングで愛すべき青年だっただけに惜しかったね。

じつは私はいつも彼をコントロールする人が必要だと思っていた。才能があっただけに、きちんと育成され、自分をコントロールできる心を養っていれば、もっと素晴らしいレーシングドライバーに成長できたはずなんだ」ベロフにとってはかわいそうな結末になってしまったが、956が優れたレーシングスポーツカーであったからこそ、若いドライバーの隠れた才能が開花できたともいえるのではないだろうか。

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words:David Vivian 

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