スターリング・モスがやり残した仕事とは?ポルシェRS61と共に

Photography:Paul Harmer

2011年、ポルシェRS61でル・マン・レジェンドに挑んだスターリング・モスは突如として現役からの引退を表明した。いったい、モスに何が起きたのだろうか?

スターリング・モスにはやり残した仕事がある。およそ50年前にポルシェRS60で長丁場のタルガ・フローリオに出場したとき、あと800m走れば優勝できたところでギアボックスにトラブルが発生し、リタイアに追い込まれたのだ。

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そして2010年、RS60と瓜ふたつのポルシェRS61を手に入れたモスは、これでラグナ・セカのヒストリックカーレースにエントリーしたのだが、決勝直前のウォームアップ中にマシンがスピン、さらに後続のロータス11に追突され、スタートを切れなかった。
 
その数カ月後にシルバーストンで行われたBRDCテストデー。ダメージを負ったモスのポルシェは完全に修復され、再びサーキットにその姿を現した。実は、この作業の途中で不可思議なスピンの原因も判明したのだが、それについては後ほどご説明しよう。
 
私が午前7時30分に到着したとき、ピット1Bには、まだポルシェがポツンと置かれているだけだった。やがて、ポルシェ・スペシャリストとして知られるマックステッド-ペイジ&プリル社のアンディ・プリルがひととおり車をチェックすると、4カムの可愛らしいカレラ・エンジンを始動させ、その轟音でピットを包んでいた静寂を打ち破った。
 
エグソーズトからの弾けるような音、それとキャブレターからの吸気音が空っぽのピットのなかで鋭くこだまする。アンディがエンジンを止めると、エンジンのけたたましさに驚かされたのと同じように、今度はその静寂さにショックを受けることとなった。
 
美しい曲面を描くアルミボディ、整然とレイアウトされたチューブラーフレーム、そして空気とオイルで冷やされる4カム・フラット4を私たちはしげしげと眺めて回った。このモデルはスパイダーの最終形だ。最初は356ベースの550、次に軽量な550Aが作られ、その発展形として718RSK、続いてFIAによる車両規則の変更に従ってコクピットを拡大したRS60(リアサスペンションはコイルスプリング式)が生み出された。1961年モデルのRS61にはボディの全幅をカバーするウィンドスクリーンが設けられたが、これもFIAの規則改正に準じたものだ。


 
8時30分にスターリングとスージーが到着すると、ピットは大賑わいになった。そのなかにはBBCのジェイク・ハンフリーも含まれていたが、誰ひとりとしてスターリングのことを心配しているようには思えなかった。
 
この前年の9月に行われたグッドウッド・リバイバル以来、スターリングはレースに参戦していない。ちなみに、そのとき乗ったのは小さなオスカである。いっぽう、スターリングはイアン・ナットホールと組んでル・マン・レジェンドに出場する計画を立てていた。激戦で知られるこのレースにイアンはこれまで何度も出場していたが、スターリングは今回のテストを終えるとそのままレース本番を迎える予定である。しかも、修復されたポルシェに乗るのは、件のラグナ・セカ以来、今回が初めてのことだった。
 
RS61は手強いレーシングカーだ。同時代のフェラーリやマセラティに比べればパワーは少ないが、軽量かつ俊敏で、この点こそ1961年のタルガ・フローリオでポルシェが活躍できた最大の理由でもあった。プリルによれば、1700ccのエンジンは185bhpを生み出すが、車重はたったの600kgしかない。
 
「ポルシェは180bhpほどだったが、フェラーリは250bhpか260bhpは出ていたはずだ。でも、タルガ・フローリオはこのクルマに向いていた。たしかに長いストレートはあったが、ツイスティーなセクションで遅れを取り戻すことができたんだ」とスターリング。
 
話を現代に戻そう。プラクティスが始まると、まずはプリルが車を走らせてその状態を確認する。ピットに戻ってきたとき、ガソリンの匂いがかすかに漂っていたが、プリルは上機嫌だった。「すごい車だ。なにしろ、走り始めてすぐにスライドするペースに持って行けるんだ」
 
かすかな匂いは高速走行時に給油キャップからガソリンが漏れ出したのが原因で、これはメカニックたちの手で素早く応急措置が施された。セッションが終わると車は1度ピットに引き戻され、入念なチェックを行う。次のプラクティスはいよいよスターリングの出番だ。

編集翻訳:大谷 達也 Transcreation:Tatsuya OTANI Words:David Lillywhite 

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