スターリング・モスがやり残した仕事とは?ポルシェRS61と共に

Photography:Paul Harmer


 
3日後、私はスージーとスターリングをロンドンの自宅に訪ねた。私はスージーに導かれ、スターリングが待つ部屋に足を踏み入れた。
 
「日記は本当に便利なものだよ」 スターリングはそう語ると、手にした日記の1961年4月26日のページを開いた。この日は水曜日だったようだ。
 
「9時起床。借り物のフィアット1100で2ラップする。翌日、今度はグレアム(ヒル)と一緒にテスト車で3ラップを走行。ラップタイムは51分前後。ランチ後、フシュケ(フォン・ハンシュタイン)とテスト車で走行、今度はおよそ50分。途中、車内に飛び込んできた小鳥を外へ逃がす。だいぶコースを呑み込めてきた」
 
スターリングは日記を脇に置くと、身を乗り出した。「私はまずコースを覚えなければいけなかったんだ。全長は60km以上もある。ミッレミリアはどうにもならなかったけれど、この長さだったら何とかなる。フィアット1100のタイムは1時間3分。コースは公道だけれど、人の気配はほとんどなかったね」 彼は再び日記を手にした。
 
「日曜日、6時30分のスタートに備えて5時起床。4周でジョー・ボニエを1分半リード。グレアムに代わると2番手に後退。フェラーリの76秒遅れ。残り1周で首位に返り咲き、65秒のリード。40分を切るタイム。しかしリアアクスルが最後までもたなかった」
 
「デフを固定するボルトが伸びて、なかのオイルがすべて漏れ出てしまったんだ。あれは本当に悔しかったね。なにしろゴールまでたったの800mだったんだ」 こうして彼は、55年に続く2度目となるタルガ・フローリオの栄冠を取りこぼしたのである。
 
では、ル・マン・レジェンドでは好成績が望めそうか?
「圧倒的に有利とはいえないが、クラスウィンは狙えそうだ。嬉しいことに、長いレースじゃない(レジェンドは45分間のタイムレース。スターリングは24時間レースでいい思いをしたことがない)。すべてうまくいって楽しい思いができれば、別に勝てなくてもいい。そうなれば、もしかすると他のレースに出場するようになるかもしれないね」
 
2週間後、ル・マン・レジェンドのプラクティスを終えたスターリングは、突如として引退を表明する。「今日、初めて恐怖を覚えた。かねがね私はこう申し上げてきた。『限界まで走れないか、自分が他のドライバーの邪魔になっていると感じたら、そのときは車から降りる』とね」
 
スターリングとポルシェに3度目の不運が訪れた、というべきだろう。そしてこれはひとつの時代の終焉も意味していた。

編集翻訳:大谷 達也 Transcreation:Tatsuya OTANI Words:David Lillywhite 

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