テクノロジーに対するフェラーリの姿勢をF40を軸に見解する

octane UK

一番好きなフェラーリにF40 を選ぶ人は多い。それは、"トラディショナル"と"モダン"が絶妙なバランスで共存しているからだろう。軽量で空力性能に優れ、もちろんパワフルで、しかもアナログなドライビングを堪能できる。F40 は、特に構成素材やエンジンの面で、フェラーリが普段以上に冒険した車だった。
 
そもそもフェラーリが技術革新の先駆者だった例はほとんどない。エンツォの車がレースで勝利したのは、最後まで走り続けたからだ。エンツォは実験より経験を重んじた。また、重要なのはレーシングカーだけで、ロードカーはスクーデリアの資金を稼ぐ手段としか見ていなかったのも有名な話だ。最初のモデルである125 Sがデビューしたのは1947年のことだが、それから20年間のフェラーリは、ほぼすべて250テスタロッサとGTOを例に説明できる。フロントにV12 エンジンを載せ、リアはリジッドアクスルで、シャシーはチューブラーフレームというのが定石だった。
 
もちろん、レースレギュレーションに合わせて工夫はしていたが、エンツォはコーリン・チャプマンとは対局の存在だった。ルールの抜け穴を突くのではなく、信頼性を第一に置いたのだ。まずフィニッシュしなければ勝利もあり得ない。
 
フェラーリ初のミドシップは、1961年のF1 マシン、156 だ。その1.5 リッターV6エンジンに目新しい要素はなかった。カムシャフト2本に、1 気筒当たり2個のバルブ、ウェバーキャブレターも2基か3基だ。それでも190~200bhpを発生し、驚異の1 万rpm まで回すことができた。

一方、ロードカーが初めてミドシップになるのは7年後のディーノ206だ。初のミドシップスーパーカーはさらに下って1973年の365 GT4 BBだった。1973年といえば、ランボルギーニ・ミウラが7年にわたる生産を終了した年である。エンツォも最後には時流に従ったわけだが、自ら流行を作り出すことはほとんどなかった。
 
話をF40 に戻そう。ツインターボでミドシップのF40は、空力性能を追求し、カーボンコンポジットを多用して軽量化を極めたハイパーカーだ。世に先駆けた新技術こそなかったが、フェラーリにとっては、レースの最前線でスクーデリアが積み上げてきたノウハウを集大成した力作だった。なにしろ、創業40周年を祝うために造られ、エンツォの治世の最後を飾るモデルである。また、最高速200mphを謳う初めての量産車だった。
 
F40では空力も大きな役割を果たした。まずラジエター下の気流をアンダートレーがスムーズにし、エンジン後方から再びアンダートレーが覆ってディフューザーへ流し込む。中央のエンジンベイが密閉されていないのは冷却のためだ。リフトはフロントスポイラーとリアウィングで制御した。
 
また、ケブラーとカーボンの複合素材を採用し、フラットプレーンのV8 エンジンとIHI 製ターボを組み合わせて、最先端技術を満載した四輪駆動のポルシェ959 の対抗馬として名乗りを上げた。その一方で、"ない"ものが多いのもF40の特徴だ。

ABSとトラクションコントロールもなければ、パワーステアリングやエアバッグ、ブレーキサーボもない。車内にはドアハンドルさえなく、紐を引いて開閉した。こうして車重を1104kg に抑えたのである。まるでフェラーリではなくロータスの話のようだ。
 
F40 は史上最も強烈なドライビングマシンといえる。その証拠にオーナーには、マンセル、プロスト、アルヌー、タンベイなど、トップクラスのドライバーが並ぶ。F40の25周年を記念する『Octane』の特集で、ベテラン記者のジョン・シミスターはこう書いていた。「はたしてフェラーリ史上最も偉大なロードカーなのだろうか。おそらく慣れればそうなるのだろう。ただ、最も獰猛で生々しく、感覚的でチャレンジングな車であるのは間違いない」
 
F40から10 年後の創業50 周年にはF50 が発表された。750bhpを発生する自然吸気V12 エンジンとマニュアルシフトギアボックスの組み合わせは、これが最後となった。次のエンツォについては別項目で詳しく触れている。F40 のアナログな純粋性とは対照的に、セミオートマチックトランスミッションと、シャシーをコントロールする最先端の電子制御技術を採用した。

Words: Glen Waddington

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