レギュレーションの許容限度ギリギリで作られたポルシェの1台とは?

Photography:Andy Morgan

ポルシェはレギュレーションの許容限度ギリギリのところで935を作った。それは許せないやり方だったかもしれないが、華々しい結果を残したスポーツカーだった。

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1970年代中頃、スポーツカーレーシングの世界は深刻な停滞状態にあった。人々の心のうちにはまだオイルショックの余波がくすぶり、破綻しかかった世界経済はまだ浮上というにはほど遠く、自動車メーカーはレースへの参加を手控えていたからである。このような状況を打破するには早急な対策が必要だった。そこでFIAが打った手が、量産車ベースのグループ5を主役とする新しいルールの策定である。市販車がチャンピオンシップの表舞台に立つことで、自動車メーカーにレース参加への意欲を高めてもらおうようという算段である。

ポルシェのチーフエンジニア、ノルベルト・ジンガーはこのルールを歓迎した。というより、拡大解釈したといったほうが正しいかもしれない。自らのチームがル・マンと1976年のメイクス・チャンピオンシップで最大限活躍できると判断、ただちに新規定に則したスポーツカーを設計したのである。それは、人々に衝撃を与えるような性能と、ほとんど漫画のような出で立ちをもって登場した。そう、935である。
 
新しいレギュレーションでは、対象となる車はベースとする車に形態が似ていればよいとだけ、ある意味あいまいともとれる規定であった。当時の新規定がシルエット・フォーミュラと呼ばれる所以はそこにある。規定を都合よく解釈し形にしてしまう天才、ジンガーはカレラRSRを念頭に置きながら、情け容赦なくレギュレーションを利用して935を作り上げた。ルール策定者の意向からはほど遠いフラットなノーズなど、ちょっと度を外れた成り立ちの935は、ポルシェ自身、問題になりそうだと憂慮したほどで、地面すれすれの場所に移したヘッドライトや通気性にすぐれたホイールアーチがやりすぎだと指摘されたときのために、もう少しまともな形状のフロントエンドも用意していたほどである(訳注:形状変更の少ないタイプも数戦レース参加した)。

ところが、クレイジーと思われるほど膨らんだリアのホイールアーチにも、当局からのおとがめはなかった。理由は太った15インチのスリックタイヤだけでなく、巨大なKKK製ターボチャージャーが乗っかったフラットシックスエンジンや、これまた大きな空冷式インタークーラーを格納するにはこれだけの容量が必要と判断したからである。もっとも、後者はのちにレギュレーション違反に問われ、変更を余儀なくされるが。エンジンはグループ5規定に合わせて、実際の排気量にターボ係数1.4をかけた値が4000㏄未満になるよう、ベースエンジンのボアを3㎜縮め、排気量を2993㏄から2856㏄に縮小して載せた。そしてコクピットから過給圧を1.2~1.5バールの範囲で調整できるようにし、550~650bpsという途方もないパワーを実現した。

ターボチャージャーはまだ揺籃期にあり、燃料噴射装置のメカニカルな制御システムだけでコントロールされていたのも初期モデルの特徴である。それゆえ低回転域では過給スピードが遅く、ドライバーは鈍いスロットルレスポンスに悩まされた。言い換えば、ホイールスピンやオーバーステア、激しいアクセルワークなどは不可能といってよかった。ターボカーではお馴染みの、スロットルをバックオフさせたときにテールパイプから放たれるバックファイアさえも、このときはまだ出せなかった。917やフェラーリ512などでいい時代を過ごしたあと935に乗り移ったプロドライバーは、そのじゃじゃ馬ぶりにおおいに閉口したのである。

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words:Roger Green 

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