レギュレーションの許容限度ギリギリで作られたポルシェの1台とは?

Photography:Andy Morgan


 
ル・マンを5回も制したデレック・ベルは935に乗ったときのことを思い出すと笑いが止まらないという。

「とにかくパワーはほかのどの車よりもすごかったよ。シートに座っているだけなら911と変わらないんだけれど、実際はまったく違う車なんだからね。このギアレバーを見てごらんよ。建設現場の足場の一部かと思うくらい無骨だろ?それを掴んでこう言うんだよ。今日もお前には負けないからなって。だって何にも抑圧されていないエンジンパワーはトランスミッションが存在しないかのように、まっしぐらに車を進めようとするんだからね。

もちろん実際にそんなことはないけれども。でもそんなあふれんばかりのパワーを私は好きだね。カーブを曲がろうとすると、パワーはまずフロントタイヤを横方向にプッシュしてアンダーステアを発生させ、スロットルをそのままの状態にしておくと、やがてターボが効いてきてリアのグリップを失わせるんだ。全身を集中してコントロールしたらあとは祈るだけ、そんな感じだよ。野獣のようにドライブするとはよく言われるけれどそれは逆で、スムーズかつデリケートに運転することを心がけないと、襟首をつかまれてステアリングホイールにハングオンされるだけだよ」


マルティーニ・ロッシ・カラーにペイントされた2台のファクトリーカーは、ヨッヘン・マスとジャッキー・イクスのドライブで1976年、ムジェッロとバレルンガのふたつの6時間レースに勝ち、幸先のよいスタートを切った。それでもなお競争力がさらに高められたのは、BMW3.5CSLが劣勢を大きく挽回、ル・マンまでの間に3勝を挙げていたからだ。開発の手を緩めなかったことが奏功して、そのル・マンでポルシェは復活劇を見せた。ロルフ・シュトメレンとマンフレッド・シュルティが乗るファクトリーカー2号車がグループ5で1位、総合でも4位に入る活躍を示したのだ。エースのイクスとマスのコンビが最後に勝利したのは、その年のディジョン6時間であった。


 
禁じられた空力付加物内へのインタークーラー搭載など、汚いやり方と罵られながらもデビューシーズンを飾ったポルシェは翌1977年シーズン、それまでのシングルターボからツインターボに発展させて935の成功を確かなものとした。それはカスタマーの車にも提供された。マルティーニ・カーは引き続き新規開発を進めるが、レースでリタイアしてもカスタマーチームが表彰台を独占すればよしとする作戦だった。そして1978年、935にとって究極の車が登場する。935/78"モビーディック"がそれだ。
 

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words:Roger Green 

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