フェラーリとピレリの途絶えぬ間柄│適度な距離間の関係性

Images:Ferrari Media

イタリアが誇るスポーツカー・メーカーであるフェラーリと、イタリアが誇るタイヤ・メーカーであるピレリ。その間柄のスタートはフェラーリ社創業以前まで遡る。

アルファロメオのテスト・ドライバーからレーシング・ドライバーへ昇格したエンツォ・フェラーリは、1929年、仲間達と共同出資で会社を設立し、アルファロメオのセミワークス・チームとしての活動をスタートした。その本拠地が、モデナ市のトレント・トリエステ通りにあったこの建物だった。外壁に貼られている大きなタペストリーには、アルファロメオの紋章とともに"SOC.AN. SCUDERIA FERRARI"の文字が記されている。その下にある2台のチームカーも同様だが、最も目立つのは"PIRELLI"のロゴ・マークである。現在イタリアが誇るスポーツカー・メーカーとタイヤ・メーカーの結びつきは、そんな古い時代まで遡ることができるのである。 
 
もっともピレリは1872 年に創業され、1890年に自転車用、1901年には自動車用の最初のタイヤを発表しているのだから、エンツォ自身とピレリの関係はスクーデリア創業以前からあったのかも知れない。しっかりした資料と呼べるものは出てこないから断言することはできないが、ドライバーとして走っているときの足元がピレリ製タイヤで、それが縁で自らのチームを立ち上げたときに協力関係をスタートさせることができたのだろう。
 
逆にハッキリしているのは、それ以来フェラーリとピレリが、適度な距離感を保ちながらいい関係を続けているということだ。フェラーリはF1 世界選手権の開催初年度となった1950年から1957年までをピレリで戦っているが、スポーツカーによるレースでも同様で、1952年には250S、1953年には340MMヴィニャーレで幾つかの勝利を重ね、1954年には375プラスでル・マン24時間レースを制すなど戦績を残し、1950年代から1960年代にかけて強さを見せたの250GTシリーズの多くも、サーキットでもストリートでもピレリを履いていた。
 
だが、最も歴史的な出来事は何かといえば、それは1987年にフェラーリ創業40周年を記念して作られたスペチアーレ、F40の標準装着タイヤをピレリが専用開発したことだろう。4000rpm付近になるとまるで爆発するかのように478psのパワーを一気に発散しようとするF40 に相応しいタイヤに仕立てるためには、車が持っているパフォーマンスを考えれば強力なグリップ性能を求められるのは当然として、同時にその難しい出力特性によってグリップを失う寸前からスライドしてる間の動きの掴みやすさとコントロール性の良さも求められる。F40はあくまでもストリート・リーガルな車として販売されるのだから、ロードカー用のタイヤとして満たさなければならない要素も最低限以上満たす必要もある。

ピレリはそれらをクリアして、フェラーリのエンジニアやテスト・ドライバー達を納得させたのだ。それが現在まで続く"P ZERO"の最初のモデルである。
 
もうひとつフェラーリ・ファンにとって馴染み深いのは、1993年の348の時代から開催されているフェラーリ・チャレンジ用のタイヤを、ピレリが供給し続けていることだろう。車もワンメイクである以上、タイヤも当然ながら専用品のワンメイク。最初の348 チャレンジ用のタイヤにピレリが与えたキャラクターは、グリップ限界を徹底的に高めることよりある程度のところでグリップを手放し、その先のコントロール性を重視するというもの。

現在のP ZEROシリーズの最も基本的な性格も同じベクトルにあるといえるが、つまりこの時代にはすでにピレリのタイヤ作りに対する哲学のようなものはできあがっていた、というわけだ。またレース用タイヤとしては摩耗に強く、ちゃんと使える人と使えない人とではラップタイムの差がつきやすいという点も、ワンメイク・レース用のタイヤとして素晴らしいところだった。

 
ピレリは現在もフェラーリへ、独占供給ではないがカリフォルニアT からラ フェラーリまでの各車にP ZERO各モデルを供給している。それらは汎用ではなく、それぞれのモデルに合わせてスーパースポーツカー用タイヤの開発チームがテストを繰り返して適切な特性へと仕立てた、専用開発品だ。ピレリの仕事は昔も今も丁寧なのである。

文:嶋田 智之 Words:Tomoyuki SHIMADA 

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