ネオンが起こした広告業界への小さな革命

Photography;Junichi OKUMURA

ネオンの発明は広告業界に小さな革命を巻き起こし、自動車関連のコレクターには、今も変わらず人気がある。1902年、フランスの科学者ジョルジュ・クロードは、ガラスチューブに入ったネオンガスに低い電流を放電すると赤く光る事を発見。そして1910年12月、クロードはネオンランプのプロトタイプをパリモーターショーで発表し、38 ftもある2本のネオンチューブで人々を魅了した。やがて最初のネオンサインがパリの床屋を飾り、直にリキュールを宣伝する大きなサインも建てられた。ネオンはまったく新しい広告媒体であり、昼間は鮮明、夜間はこれまでにない強いインパクトで、視覚的な注目を集めるものであった。

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クロードは1915年に米国で特許を取得。自動車業界の支援を得て1923年にネオンサインの事業を立ち上げた。カリフォルニアの、とあるディーラーはクロード・ネオン社に巨大な青のサインを3つ注文。2万4000ドル(現在の価値では32万ドル)もの対価を支払ってフランスから輸入し、市街地のビルに取り付けた。なんとロサンゼルス警察は、脇見運転による事故を防止するために、わざわざパトロールを強化したそうだが、そこからネオンサインは広告や建築の発展と共に、瞬く間に全米へと広まっていった。
 
1970年代になると、ネオンサインは安っぽいという理由で敬遠されはじめ、プラスチックの透明なサインが台頭してきた。盛者必衰と思われたが1981年、芸術の可能性を養おうとロサンゼルスに「ミュージアム・オブ・ネオン・アート」が設立されたことでネオンは救われた。1999年にはルート66を保存する条例が設けられ、道路沿いにあるネオン全盛期の看板は守られることになる。また20世紀後半のイギリスにおいて、最も有名であった「ルコゼード」という飲料のネオンサインが、ファンからの強い要望により2010年、ロンドンへ向かうM4高速沿いに再び建てられることになった。


 
ネオンサインは手作りである。ガラス工芸の技術に長け、化学と物理が好きでなければ作ることはできない。リードに拠点を置くネオンアーティストのジュリア・ビッカースタッフはそれらを持ちあわせている。
 
ネオンサインには40年ほどの耐久性があるらしい。「古くなると、実は明るくなります」とジュリアは説明する。「チューブ内の圧力が徐々に落ちていくにつれ、明るさは増していきます。そして、常に電離しているということは、自己浄化していることになります」
 
破損の原因の多くは電極の殻が破裂し、金具が乖離することに因る。チカチカとフィラメントが燃え尽きるような現象は、理論上は起こりえないそうだ。
 
ジュリアは良いものを大切にする。手元に修復が必要な物があれば、彼女は喜んで引き受けてくれるだろう。
 
自動車関連のネオンサインはコレクターにはたまらなく魅力的なものばかり。ただアンティークの多くは比較的手ごろな価格が付けられていることが多いのだ。だが2012年に、RMオークションがディングマンコレクションから売却した『FORD』のネオンサインだけは別格だった。落札金額は3万9100ドル。良いものは、常に価値を残す。

編集翻訳;編集部 Transcreation;Octane Japan 原文翻訳;数賀山まり Translation;Mari SUGAYAMA 

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