世界中から集まった70台のフェラーリでトスカーナ地方を3日かけて巡る

Photography:Ferrari



やがて雨が降り始めた。こんなのは聞いてないぞ! と文句をいっても仕方がない。小さなウィンドスクリーンでもしのげる程度だが、私はレザーのヘルメットとゴーグルを装着した。ダミアンはハンチングをかぶったが、すぐに吹き飛ばされ、車を止めて拾いにいくはめになった。ミッレミリアに何度も参加している私は、北イタリアでは降れば土砂降りなのを知っていた。そこでダミアンにも、バイク用のしっかりしたオーバーオール雨具を用意しておくよう伝えてあった。166バルケッタのメイソン-スタイロン夫妻は、経験豊富なだけあって、スタート時からすでにレインコート姿だった。私たちも雨具で完全武装する。もうエレガントに決めている場合ではない。
 
いよいよ雨が強くなってきた。ウィンドスクリーンは曇るし、私の老眼鏡も白くなり、手に持ったルートマップはボロボロになり始めた。ボディワークにあいた冷却用の穴という穴から水が飛び込んできて、二人ともたちまちずぶ濡れになる。
 
屋根のあるクーペや、役に立つルーフの付いたカブリオレなど、良識的な車で参加した人たちは、私たちが船乗りさながらの状況に置かれていることなど気づいていなかっただろう。とはいえ、アンドリュー・ピスカーの250TdFの窓という窓はすっかり曇っていたし、280 GTOは濡れた路面に足を取られてフロントとリアにダメージを負ってしまった。ファクトリーが近いのがせめてもの救いだ。モンツァに乗った私たちも、このコンディションでは他人事ではない。視界は悪いし、昔のダンロップ製16インチ・レース用タイヤは冷えてしまうと濡れた道でまったくグリップしない。ただ、従順な860のテールを控えめな速度で流すのは楽しい経験だった。
 
もちろん、控えめな速度で走るための車ではない。この1956年860モンツァ、シャシーナンバー0604は、完全無欠のヒストリーを持つ純血のレースウィナーであり、何度も世界チャンピオンに輝いたファクトリーのエースドライバー、フアン・マニュエル・ファンジオのためのワークスカーとして生まれたのである。1956年、ファンジオはこの車を駆ってエウジェニオ・カステロッティと共にセブリング12時間で勝利し、フェラーリの世界スポーツカー選手権制覇に貢献した。また、フェラーリのスポーツカーの中でファンジオが勝利を挙げたのはこの車だけであることも調査で明らかになっている。まさにフェラーリの伝説を背負う希有な1台だ。それでイタリアを走るのだから、いかに特別な経験か、お分かりいただけると思う。


 
その後、860はアメリカのドライバー、ジョン・フォン・ノイマンに売却された。1956年のペブルビーチでは、未来のF1チャンピオンであるフィル・ヒルのドライブで2位フィニッシュを飾った。ヒルはこう語っている。「ファンジオはワークスチームのエースドライバーだったから、好きな車を何でもドライブできた。それなのに彼はあの年、ほぼ毎レース、860モンツァで走ったんだ」
 
さらにリッチー・ギンサーがリバーサイドで、ピート・ラブリーがラグナセカで860をドライブした。1960年代に引退したが、近年も、フェラーリの権威ジャン・サージュのドライブで、ミッレミリア・ストリカや、スパ、数多くのフェラーリ・チャレンジなどに出走していた。
 
860のシャシーはティーポ520の進化型で、フロントはダブルウィッシュボーンとコイルスプリング、リアはド・ディオン式だ。チューブラーフレームに美しいスカリエッティのアルミニウム製ボディを薄くまとって、車重はわずか860kg。これに対して出力は300bhpを誇る。オリジナルパーツが揃った完璧なマッチングナンバーで、レストアが済んだばかりだ。メカニカル面はスペシャリストのアンディー・プリルが丁寧に再生した。ボディは航空機アルミニウムの大家、トニー・ディザリッジが徹底的にレストアし、何層にも重なったパテの下にオリジナルのパネルワークを見つけ出した。
 
さらに、正しい色合いのロッソコルサ(フェラーリは色を毎年変えていた)で塗装され、セブリング優勝時のカーナンバー17(実は17はイタリアではアンラッキーな数字だった)を手書きでペイントし、跳ね馬のシールドも当時と同じ水転写式で再現した。まさに非の打ち所のない1台だ。そんな車でこの3日間のラリーイベントに参加したダミアンには本当に頭が下がる。激しい雨の中、泥や砂を浴びるのもいとわず、こうしてモンツァに走る機会を与えているのだから。
 
おまけに、なかなかにやっかいな車だ。レース用クラッチはシャープで、ステアリングもそれなりに正確ではあるが、ミスシフトを防ぐリバースロックの付いた4速のギアシフトは"反抗的"で、操作を楽にするシンクロメッシュもない。それでもブレーキは強力だし、乗り心地のよさにも舌を巻いた。荒れた路面もしっかり捉えて安定感がある。また、サスペンションが大きな音を立てるようなこともなく、減衰も抜群だ。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Robert Coucher

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事