欧州初のオールスチールボディを持ったシトロエンの1台

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タイプAは2年ほどの間に2万4000台が生産された。1921年になるとタイプB2が導入される。タイプAの改良発展型で、エンジン排気量を1452ccまで拡大し、ラジエターグリルが大きくなったが、全体の見た目としてはあまり変化はなく、すぐには識別が難しいくらいである。ただB2は、飛躍的に車体バリエーションを増やした。タイプBは改変を受けながら長く生産が続いたが、シトロエンにとって画期的な進化といえるのが、1925年に導入されたタイプB10である。タイプB10はヨーロッパで初めて、オールスチールボディを採用した。

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全鋼製ボディの技術は、アメリカから導入された。全鋼製ボディは、従来型の木骨ボディと比べて、剛性が高く耐久性に優れ、高品質であるなどの長所がある。だがなんといっても重要なのは、シトロエンが追求していた大量生産に向いているということだった。大型のプレス機械などを導入する必要があるが、生産工程が機械化されて生産性が上がることになり、大量生産には不可欠の技術といってよかった。

全鋼製ボディの特許は、アメリカの車体メーカー、バッド社から買っている。バッド社は鉄道でもよく知られており、東急電鉄が1960年代に日本初のオールステンレス車両を導入したときにはバッド社の技術が使われていた。バッド社は自動車の車体でも有力な存在であり、アメリカではGM以外のほとんどのメーカーが鉄製ボディを導入するとき支援を受けており、フォードT型の鋼製車体製造にも関わっていた。


 
アンドレ・シトロエンは、アメリカのフォード式大量生産をフランスにもたらす存在として注目されたが、その要の部分を支えるメーカーと直接取引きして、そのノウハウをフランスに導入したのだった。このあとこのバッド社の技術を買って、ヨーロッパの自動車メーカー各社が鋼製ボディを導入することになるが、シトロエンはその先頭を行く、輝かしい存在だった。アンドレ・シトロエンは、フランスではムッシュー全鋼製(Tout Acier)などと呼ばれたりもした。19世紀末に、新しい鋼鉄製の建造物がパリに次々と建てられるのを見ながら、アンドレ・シトロエンは育った。その最たるものがエッフェル塔だったわけだが、アンドレは、大人になってから自らも鋼鉄製自動車をフランス中に走らせ、人々の生活に変化をもたらしたのだった。
 
ただ、その新しい鉄の技術は、最初は扱うのが難しかった。タイプB10は、B2のシャシーの上に鋼鉄製ボディを載せていたので、フレームの強度が足りずにゆがんでしまい、上の車体に影響を及ばした。そこで1年も経たないうちに改良を施したB12へと進化させた。さらに1年後の1926年秋にはB14 が登場する。B14 はエンジンを1538ccまで拡大して、鋼製で重くなっていたボディに対応した。


 
最終的にB シリーズは、1927 年秋発表のB14Gまで進化する。B14Gでは、ボディの角が少し丸くなったことで識別されるが、それでも変化は大きくはなかった。プレス機械などを用いるようになると、車体デザインを変えるのにコストがかかるので、あまり顕著なデザイン変更をしないのが、戦前のシトロエンの傾向だった。

文:武田隆 Words:Takashi TAKEDA

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