ランボルギーニ・カウンタックの誕生秘話│UFOに勘違いされたことも?

PHOTOGRAPHY Paul Harmer

発売当初、カウンタックLP400がいかに人々を驚愕させたかをよく示す逸話がある。私はこれをランボルギーニの元テストドライバーから聞いた。

1974年春のこと、彼が黒のLP400のシェイクダウンをしていると、魅力的な以前の彼女が道を歩いていたので、送っていこうと申し出た。二人はたちまちかつての情熱を取り戻し、波打つ広大な麦畑の中にカウンタックを止めた。するとトラクターがやってきて、年老いた農夫が降り、憤然と近づいてきた。

テストドライバーは、カウンタックのドアをすっと上に開けて立ち上がった。すると農夫は顔面蒼白になり、トラクターによじ登って猛スピードで走り去った。そう、黒い角張った物体をUFOと勘違いしたのである。その数年前の1970年末に、ランボルギーニのチーフエンジニア、パオロ・スタンツァーニは、ミウラの後継モデルについて思いを巡らせていた。



「ミウラは美しい車だったが、あまりに多くの人が購入したために、ほとんど“普通”になっていた。もっと特別な、何かまったく新しいものが必要だった」とスタンツァーニは振り返る。

プロジェクトの目標のひとつが、ミウラの短所を乗り越えることだった。「ミウラは横置きレイアウトのせいでリアが重かった。そこでエンジンを縦置きにし、その前方にギアボックスを配置して、重量配分を改善したんだ。ランボルギーニでは、人が明日やることは今日やったほうがよいと考えていた」

プロジェクトの概要が固まると、スタンツァーニはトリノのベルトーネに出向き、マルチェロ・ガンディーニに新車の構想を説明した。「私の仕事は要望を伝えることだった。美しいと同時に過激なもの、技術的に完璧で、人が買いたくなる“夢”を体現したものでなければならない。その一例が、上に開くドアだ」

ガンディーニもこう回想する。
「カウンタックの形のインスピレーションは、私たちとランボルギーニの両方から出た。ブレインストーミングに近かった」カウンタックのデザインは傑作と称賛されてきたが、1971年にジュネーヴでプロトタイプのLP500が披露されたときは違ったとガンディーニは話す。「非常に気に入った人も少しはいたが、多くの人には理解されなかった。あの形にショックを受けて、いいことを書かないジャーナリストもいた」



だがフェルッチオ・ランボルギーニは大いに気に入った。会社が経営難に陥る中、2年をかけて開発が進められ、1973年のジュネーヴ・モーターショーで量産型のプロトタイプLP400が発表された。そして1年後には生産ラインが急ピッチで稼働し、何も知らない農夫を驚かせることとなるのである。

以来15年をかけてLP400はLP400Sへ、さらにLP500S、5000クアトロヴァルヴォーレ、25thアニバーサリーへと変貌を遂げていく。これほど長く生産されたことにはスタンツァーニも驚いている。そして、こうまとめた。「要するに、カウンタックはランボルギーニにとって、大変よいビジネスだったんだ」

カウンタックをドライブする
ひと言でいえば、シャープだ。私は驚いた。ドライバーを服従させる凶暴な車、ランボルギーニのロゴのような猛牛を想像していたのだ。ところが大間違いだった。フィードバックには事欠かない。ステアリングを通して、路面のあらゆる凹凸がビリビリと伝わってくる。エンジンの搭載位置が低くなったことで、旋回時の重量感やロールも減った。頭のすぐ後ろでV12が咆哮するし、シフトやペダルを力強く操作する必要はあるが、流れに乗ってしまえば、すべてが滑らかに進む。それも抜群のスピードで。

これは最初の純粋なモデル、LP400の話だ。その後のモデルは、より速くパワフルに進化したものの、走りの繊細さは影を潜めたと評価されることが多い。その一方で、車とのドラマチックな関係性は失われなかった。シザーズドアを開けて乗り降りするだけで、ほかの車とは違う特別感がある。あの直線的なシェイプで仕切られた狭いコクピットに腰を下ろしたら、許される視界は前方だけだ。これほど“真っ直ぐ”な車は、ほかに思い浮かばない。

生産期間:1974-1990
生産台数:2042

Words: Glen Waddington   抄訳:木下恵

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