ドライビングテストで命を危険にさらさずに済んだ最初のランボルギーニとは?

Photography:Paul Harmer

ランボルギーニのチーフデザイナーだったフィリッポ・ペリーニは、自分の作品を見るたびに喜びで目を輝かせる。「オリジナルのムルシエラゴは私のプロジェクトじゃない。前任者で師でもあるルク・ドンカーヴォルケの傑作だ。それをリスタイルしてLP640にするのが、私たち新生チェントロ・スティーレ(スタイルセンター)に課せられた最初のプロジェクトだった。まだ家具すら揃っておらず、ドアをデスク代わりにしてデザインしたんだ」

「ルクは、ムルシエラゴをより過激でラテンなものにするよう指示した。彼のデザインはバウハウス的で、すべてが合理的で無駄がない。大仕事を前に、私は恐れおののいたよ」

「幸いLP640は、歴代ランボルギーニの中でもトップクラスの売上を記録した。昔のデザイナーは、レストランでアイデアがひらめいて紙ナプキンにスケッチしたとよく言うけれど、私たちの場合、最初のスケッチを書いたのは、オフィスに夜遅く配達してもらったピザの箱だった」



「披露した最初の1台をよく覚えている。美しいグリジオテレスト(グレー)で、ブレーキキャリパーはイエローだった。私たちはホイールを心配していた。スペースの関係で通常より小径のタイヤとホイールにせざるを得なかったので、ホイールを黒にしてインパクトを補うことにしたんだ。ダークカラーの組み合わせだから、効果のほどは定かではなかった。でも実物を見たら、非常に美しかった。トレードマークになって、大勢が真似したほどだ」

次に、ランボルギーニで40年にわたってテストドライバーを務めたヴァレンティーノ・バルボーニに話を聞いた。「ムルシエラゴ専用の新しいタイヤを、ピレリと共にナルドでテストしたときだ。320から330km/hで走行中に、フロントタイヤがバーストした。私はその一瞬前に異常を感じ、反応する準備ができていた。ミラーで見た美しい映像が脳裏に焼き付いているよ。ホイールが路面をこすって、滝のように火花を上げていたんだ」

ディアブロに比べてムルシエラゴのロードテストはどうだったかと聞くと、バルボーニはこう答えた。「はるかに楽だった。なにしろディアブロは、カメラマンやスパイを避けるために午前2時にテストしたんだ。180km/hでライトが消えたこともあった。私がこうして話していられるのは、満月が道路中央の白線を照らしていたおかげさ」



「ディアブロではリアサスペンションが大きな問題で、適切なセットアップを見つけるのに苦労した。四輪駆動の開発では、サンドロ・ムナーリ(往年のラリードライバー)の手を借りたよ」

「対してムルシエラゴは何もかもが楽になった。ディアブロで経験を積んでいたし、電子制御の助けもあった。ナルドでの出来事を除けば、ムルシエラゴは、テスト中にメカニカルトラブルで命を危険にさらさずに済んだ最初のランボルギーニだ。私にとっても妻にとっても、それが何よりだった」

ムルシエラゴをドライブする
私が行った0-100km/h加速の計測で、最もエキサイティング(そしてほぼ最短記録)だったのがムルシエラゴLP670-4 SVだ。ミルブルック・テストコースの1マイルストレートで、路面はわずかに湿っていた。私は既に3.4秒を2回計測していたが、もう少し縮められる手応えがあった。1速を選び、スロットルペダルを踏みつける。車がうずうずしているのが分かった。クラッチをつなぐと即座に4輪が猛回転を始め、V12が後方で咆哮を上げる。一瞬姿勢を乱したが、カウンターステアを当てて修正した。その間もペダルを踏み続け、1速で引っ張って、8000rpmの直前で右のパドルを引いて2速に上げる。ようやくピレリタイヤが食いつき始め、少しリラックスできた。こうしてマクラーレンF1と並ぶ0-100km/h加速3.2秒を記録したのである。大きな車にもかかわらず、ムルシエラゴはフットワークが軽く、荒れた路面でも落ち着き払っていた。ビッザリーニ・エンジンも、これ以上ない形で集大成を迎えたといえる。天井知らずで吹け上がり、サウンドは80年代のF1のようだ。

生産期間:2001-2010
生産台数:4099

Words: Glen Wadding 抄訳:木下恵

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