1970年代の華麗なるロードテスト 3台のランボルギーニでフランスを駆け抜ける

PHOTOGRAPH Mel Nichols

今では、公道を舞台にスーパーカーを最高速で飛ばすことなど不可能だ。しかし、40年前は違った。

当時、長距離ドライブの記事は自動車雑誌の華だった。奇跡を可能とする最新モデル(たいていイタリア製で、V12エンジンを搭載する車)でヨーロッパを華麗に旅する記事は、別世界をのぞき見る鍵穴だった。明るい日差しと美しい山並み、滑らかなカーブを描く高速道路、目も眩む高架橋…。そこで限界を決めるものは燃料タンクのサイズだけ。もちろん入っているのはオクタン価100だ。

1970年代に雑誌のロードテストを牽引したのが、イギリスの『Car』誌である。当時の編集長メル・ニコルズは、新車のランボルギーニ・カウンタック、ウラッコ、シルエットの3台をファクトリーからイギリスへ納車する旅に同行した。1977年の記事から、フランスを北上する部分を抜粋で紹介する。

「こうして警察が見守る中、私たちは軽快なペースで出発した。といっても一般の人から見れば大変なスピードだった。高速道路に入る頃には3台とも160km/hを優に超えていたのだ。それでも警官は誰ひとり動かない。これなら大丈夫だと分かった。その日はほぼ190km/h前後で走り、一部は220km/hだったし、少しの間、250km/hを超えることもあった」

「銀色のリボンのように続く道を、早朝の青白い空に向かって北へと進む。とてつもない開放感だった。心が落ち着き、温かくなる。リラックスしてステアリングに手を置いていれば、車は常に姿勢を修正しながら、矢のように真っ直ぐ突き進むのだ。ドライバーは感覚が研ぎ澄まされたように感じる。とはいえ集中力を何百マイルも維持できればの話だ。最高速付近でも、車には何のストレスもかからない。だからドライバーもストレスを感じない」

「私たちは延々と走り続けた。映画のような光景が繰り広げられる。まずカウンタックが追越車線に出て滑らかに遅い車を抜き、また走行車線に戻る。次にシルエットが、そしてウラッコが続く。私たちはパリまでの道中で一度、給油を兼ねて小休止を取り、さらにリールへと北上する途中でもう一度休んだ」

「そのあとにクライマックスがやってきた。いわば決定的瞬間だ。私はロジャーとカウンタックに乗っていた。190km/hほどで走行していたが、どんどん近づいてくるジャガーXJ-Sがミラーに映った。すると冷酷にも、ロジャーは4速にシフトダウンしてカウンタックを解き放った。力強く加速していき、ジャガーが横に並んだちょうどそのときに、250km/hでまったく同じ速度になった。それでもスロットルペダルは踏みっぱなしだ。8000rpmが近づいたところで再び5速にシフトアップすると、一気にジャガーを置き去りにした。まるでその場で停止しているかのように」

「速度計が295km/hに近づいたので、やむなくスピードを緩めた。ミラーを見ると、シルエットとウラッコもジャガーを抜き去ってついてきていた。この屈辱にジャガーのドライバーはもはや立ち直れなかったと見える。やがて私たちに追いつくと、恨めしげにこちらをじっと見たあと、すごすごと走行車線に戻って、130km/h程度に速度を落としたようだった」

「この悪ふざけを無責任に感じる人もいるだろう。私も基本的には賛同せざるを得ない。だが、道にはほかに誰もおらず、ロジャーがジャガーの行く手をさえぎった訳でもない。カウンタックには有り余る余裕があった。295km/hに達しても、進行方向がブレることは一度もなく、岩のようにどっしりと安定していたのだ。その間も頭の後ろからは、あの凄まじい獰猛なエンジンノイズ、V12の力の限りの咆哮が響きわたっていたにもかかわらず」

INTRODUCTION Mark Dixon 抄訳:木下恵

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