ランボルギーニ・ミウラをテストした思い出 山道で脱輪したことも?!

PHOTOGRAPH Mel Nichols

1964~71年にイギリス『Car』誌の編集長を務めたダグラス・ブレインが、当時のロードテストにまつわる思い出を語る。

1970年代初頭はドライバーの楽園だったと信じられているが、それほどよいものではなかった。特にイタリアは道路のコンディションが最悪だったし、非常に混み合っていた。それでも、初期のミウラでイタリアを南下し、タルガフローリオに行ったのは忘れがたい。ミウラは並外れて素晴らしい車だから、ボディシェルが少々歪むといった欠点も気にならなかった。フロントエンドのリフトで有名だが、私は240~260km/hでも感じたことがない。ミウラはいわば「朝食前」の車だ。朝6時に起きて、ジョギング代わりに2時間ほど飛ばせば、爽快な気分で1日を始められる。

あの頃は、雑誌の面々と年に3回はイタリアへ行き、メーカーを訪問したものだった。特にマセラティのチーフンジニアだったジュリオ・アルフィエーリとは非常によい関係で、彼はいつも私たちとドライブに出掛けるようにしていた。私はマセラティ・ボーラを高く評価していた。極めて静粛で優雅だが、抜群に速いのだ。しかし、ツイスティーな山道ではタイヤがオーバーヒートしやすく、リアが滑り始めると立て直すのが難しかった。同じことはフェラーリ365GT4 BBにもいえる。私はあの車が大嫌いだった。

ロードテストでは一度だけ事故を経験した。プロトタイプのランボルギーニ・ウラッコに乗り、ボブ・ウォレス(開発エンジニア)が運転していた。ボブは実際以上に速く見せようとしていたのだと思う。アペニン山脈を飛ぶように走っていたところ、カーブでタイヤが1本脱輪した。フロントのアップライトが破損したのだ。私たちはなす術もなく切り立った崖へと滑っていき、アンダーフロアから火花が飛び散った。外れたタイヤは崖の向こうに消えたが、車は止まり、私たちは命拾いをした。

DOUG BLAIN Editor, Car magazine 1964-71 

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