独創と革新 シトロエンの100年 第二弾│2CVとDSの登場

PEUGEOT CITROEN JAPON

流れ作業による大量生産方式を採用、欧州で車を大衆化させたシトロエン。人間的でありながら、独創的で革新的な技術やスタイルを武器にたえず進化を続けている。そんなフランスの"大衆車メーカー"の100年の足取りを追ってみた。

戦後のシトロエンを象徴する2台の開発がスタートすることになるが、2CVについてはブーランジェがミシュランにいた時代から、ベーシックカーについての構想を考えていたと当時の雑誌のインタビューに答えている。
 
一方のDSはトラクシオンアヴァンの進化版であるが、最大の特徴であるハイドロニューマティック・サスペンションはミシュランのタイヤ技術が反映しているといわれており、どちらもミシュラン傘下だったことで生まれた車たちともいえた。
 
2CVは1948年、DSは1955年のパリモーターショーでデビューを果たす。その後はIDやアミなど、2台をベースとした車種拡充を続けていったシトロエンであるが、一方で経営面では拡大政策が目立つようにもなる。
 
まず1953年、同じフランスのパナール・ルヴァッソールに資本参加し、1965年には完全に傘下に収める。パリ南東部に本拠を置いていたパナールは1891年、プジョーとともにフランスで最初に自動車を製作したメーカーであり、ガソリンエンジンの開発に成功していたドイツのダイムラーのパテントを取得してエンジン生産を開始している。このエンジンはプジョーにも積まれた。
 
パナールは長きにわたり乗用車の主力だったFR(フロントエンジン・リアドライブ)方式を、世界で最初に採用したメーカーである。さらに、第二次大戦後はアルミボディを用いた小型前輪駆動車という前衛的な車づくりを行っており、シトロエンと通じる部分があった。
 
続いて1964年にはロータリーエンジンの開発に乗り出すために、ドイツのNSUと手を結ぶ。NSUは1901年にまずモーターサイクルを作りはじめ、続いて自動車に進出。第二次大戦後にエンジニアのフェリックス・ヴァンケルとともにロータリーエンジンを研究していた。シトロエンと手を結んだ年に、世界初のロータリーエンジン車であるヴァンケル・スパイダーを送り出している。
 
両社はエンジン開発を行う合弁会社コモービルをスイスのジュネーヴに設立すると、3年後にはルクセンブルクに生産会社コモトールを開設した。
 
シトロエンはこのエンジンを、2CVなどのベーシックモデルとDS/ID の間に位置する新車種に搭載する予定だった。この新型車は1970年、空冷水平対向4気筒エンジンを積んだGSとして生まれ、1974年にコモトール製2ローターロータリーを積んだGSビロトールが登場している。
 
その翌年、つまり1968年になると、シトロエンは今度はイタリアの高性能車メーカー、マセラティを買収し、同じ年にはフィアットとも資本提携した。
 
当時シトロエンはDSをベースとしたグランドツーリングカーを開発中で、マセラティはギブリなどに積まれていたV型8気筒エンジンをベースにV6を開発して提供した。これが1970年に登場したSMであるが、逆にシトロエンの油圧システムがマセラティのミドシップエンジンのスーパーカー、ボーラやメラクなどに搭載されたりもしている。
 
フィアットとの提携では、フィアットが得意としていた横置きエンジンによる前輪駆動方式を、前述のGSビロトールの他、ビロトールと同じ1974年に登場したDSに代わるトップモデルCXに採用した。またフィアットグループの上級ブランド、ランチアの新型車のスタイリングは、このCXと近いファストバックスタイルとなっていた。
 
しかしCXが登場する1年前に、フィアットとの提携は商用車分野を除いて解消していた。そして直後にオイルショックが起きたことで、ミシュランは自力でシトロエンを支えていくことは難しいと判断。プジョーに相談を持ちかける。プジョーはシトロエンとの合併を受け入れた。こうして現在のグループPSAが誕生したのである。

文:森口将之 Words:Masayuki MORIGUCHI

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