フランスが誇る最高峰の車?!知られざる革新的な1台

PEUGEOT CITROEN JAPON

シトロエンSMは、フランスの国家的なフラッグシップカーだが、コーチビルダーらはさらによい車造りを試みた。ユーリエによるエスパスのタルガトップコンセプトは、いまだかつてなかったものだった。

戦後のフランス自動車産業では、金で買える最も革新的な自動車が何台も生み出された。その中には、ファミリー向けハッチバックとシックなシティカーがあり、最先端のスポーツカーには航空宇宙技術までもが組み込まれた。しかし当時の賢いフランス人達でも、タルボ・ラーゴやブガッティに続くような、国を代表するフラッグシップカーを造ることはできなかった。短命に終わったファセル・ヴェガだけは、かなりよい線まで行ってはいたが。

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1970 年にシトロエンが、ジュネーヴ・モーターショーでマセラティ製の未来的なエンジンを積んだSMクーペを発表した。その時は、国中のいたるところで国民が誇りに満ち溢れていたことを実感したものだ。遂にフランスはフラッグシップカーの基礎を築いたのだった。そのエアロダイナミックなボディ、4カムエンジン、そしてハイドロニューマチック・サスペンション・システムをフル活用してことで、同じ価格帯のGT 車はすぐに廃れていった。たとえ、異色のスタイリングに対して意見が分かれ、さらに170馬力程度ではジャガーのEタイプV12やジェンセン・インターセプターには到底及ばないとの、一般的な通念だったとしてもだ。


 
さらにSMは、発売から数カ月以内に社交界の名士たちの間に大旋風を巻き起こし、爆発的に売れた。その後も、フランスのカロスリのビッグネーム、シャプロンをも魅了した。シャプロンは、このSM が孤高の存在のままではあまりに惜しいと考えた。そして、SM の独特なスタイルとDS 由来の複雑なプラットフォームを活用し、趣向をこらした何種類ものバリエーションの基礎を築いた。
 
シャプロンによるコンバーチブルのミロールと、サルーンのオペラを各少数、生産した。これらは商業的には成功はしなかったにも関わらず(あるいはおそらくそのおかげで)、独自のアイコンとして記憶に残った。さらにこの2 台は粋な大統領用リムジンの基礎となった。ジョルジュ・ポンピドゥーのための、オープントップとロングホイールベース仕様のSMのランドレットだ。

SMがカロセリの活躍の場になった戦シャプロンのライバルでもあったユーリエにも、SMと似たデザインのボディが存在した。それはシャプロンとは異なる手法によって、オリジナルのSM が備える各要素を取り入れる挑戦に取り組んだ。シャプロンのアプローチでは、SM の最も優れた機能のひとつである後部ドアの湾曲ガラスを、従来のサルーンスタイルのリアエンドに備えていた。ユーリエは物事を異なる視点で捉え、この車ができあがった。
 
どれほどの人々がユーリエについてはご存じだろうか。同社は1960 年代から最近まで、量産車のニッチなバージョンを生み出してきた、地味なコーチビルダーである。主にルノーやプジョー・シトロエンと関係が深く、シトロエンM 35 、BX 4TC 、プジョー205 T16 、ルノー5ターボの製造契約を獲得した。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo. ) Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:BE-TWEEN Translation: BE-TWEEN Words: Keith Adams Photography: Paul Harmer

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