エッフェル塔を広告塔とした優美な時代のシトロエン

PEUGEOT CITROEN JAPON

シトロエンは創業から10 年が経とうという1920年代終盤に、ひとつの絶頂期を迎えていた。1929年には、第二次大戦前の記録となる、年産10万台を達成した。ただ、その年にニューヨーク株大暴落が起き、やがて世界を襲う大恐慌が、フランスのシトロエンを苦しめることになる。
 
その前年の1928年にタイプB14Gがモデルチェンジして、C4とC6が登場した。シトロエンは1925年以来、エッフェル塔に電飾広告を掲げ続けていたが、このとき新型車発売のPRをするために、エッフェル塔に「4」と「6」の文字を掲げた。天下の鉄塔をシトロエンは文字どおりの広告塔として、フル活用していた。
 


新型車は当初はAC4、AC6と称していたが、このACはAndré Citroënの頭文字だった。いっぽう数字のほうは気筒数を示し、AC6はシトロエンとして初の6気筒だった。6気筒の排気量2442ccは4気筒の1628ccのちょうど1.5倍で、つまり2気筒を追加したものだった。馬力も45psでこれも、ぴったり4気筒の1.5倍に相当した。ホイールベースは両車とも長短2種あり、6気筒の長いほうは3120mmに達し、堂々としたサイズだった。
 
B14Gと比べて、さまざまなところが進化し、強化されていたが、ボディの見た目はそれほど大きく変わらなかった。それはやはり大型プレス機械を使うので、ひとつのプレス型で大量につくらないと採算がとりにくいという事情があった。とはいえこの頃には、ボディバリエーションの数は膨大になっていた。そしてまた、カロシエが仕立てた優美なボディも用意されるようになった。1920〜30年代は、優雅でときに退廃的な美を競うコンクール・デレガンスがフランスで盛んになっており、シトロエンもそんな時代のなかで車づくりを展開していたのだった。

文:武田 隆 Words:Takashi TAKEDA

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