速度記録車の愛称で呼ばれた、最後の後輪駆動車

PEUGEOT CITROEN JAPON

創業以来、シトロエンは車種バリエーションを拡大しながら進化していたが、1932年秋に登場した新世代モデルは、またファミリーを増やした。C4/C6に替わる新型は8/10/15で、10と15にはボディを小型にしたレジェールも設定されたので、実際は5種のプラットフォームが揃った。
 
今度の新型はタイプ名でなく、再び課税馬力で呼ばれたが、HPもCVも付けず、数字だけになった。一番小さいモデルは8CVであり、先代のC4は10CVに相当したから、より大衆化したことになり、価格も安かった。その背景にはフランスにも及び始めた大恐慌の影響があり、経済的な車が求められる状況だった。
 
とはいえ15CVの6気筒モデルも健在で、7人乗りの大型ボディだと全長4870mmにまで達した。SICALやミリオン-ギュイエなどのカロシエが仕立てる粋なボディも、引き続きカタログに並んだ。


 
正式な車名は数字でも、このシリーズにはロザリーという愛称があり、そちらのほうがよく知られている。ロザリーとはシトロエンの速度記録車のことで、1931 年に最初はC6 ベースのマシンで挑戦を始めていた。アンドレ・シトロエンはレースにあまり興味がなく、オイルメーカーのYACCOが始めたこの企画にも否定的態度を示していたが、速度記録挑戦がよい宣伝になることがわかり、メーカーとしてサポートをするようになった。1933 年のロザリーⅣが、新型車8のシャシーを使用しており、これに因んでシリーズにロザリーの愛称が付いたのである。この時代は速度記録挑戦が盛んで、スポーツカーメーカーだけでなく、大衆車でも挑戦することがあり、レースに縁遠いシトロエンでさえもそこに加わったのであった。
 
8/10/15のロザリーの技術的特徴としては、モノコックボディの採用が挙げられる。モノコックといってもシャシーフレームはまだ残されており、シトロエンとしては「モノピエス(モノピース)」と称していた。ちなみに次のトラクシオンアヴァンでは、「モノコック」と称することになる。もちろんこれは、全鋼製ボディの進化した形であった。

文:武田 隆 Words:Takashi TAKEDA

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