独自性がなくなるかと危惧されたシトロエンのプジョーとの合併

PEUGEOT CITROEN JAPON

流れ作業による大量生産方式を採用、欧州で車を大衆化させたシトロエン。人間的でありながら、独創的で革新的な技術やスタイルを武器にたえず進化を続けている。そんなフランスの"大衆車メーカー"の100年の足取りを追ってみた。第二弾

プジョーと合併したことで、シトロエンの独自性が失われるのではないかと危惧する人は多くいた。
 
たしかにプラットフォームやパワートレインは、同じクラスのプジョーと共通となった。しかし1982年に発表されたBXを例に取れば、デザインはプジョーがイタリアのピニンファリーナに依頼していたのに対し、同じイタリアのベルトーネを起用。サスペンションにはDS以来のハイドロニューマティックが採用されるなど、独自性は健在だった。
 
さらに1989年には、CXに代わるフラッグシップモデルであるXMが登場する。BXと同じベルトーネ・デザインをまとうこのXMには、ハイドロニューマティックに電子制御を組み合わせることで乗り心地のモードを選択できるハイドラクティブ・サスペンションを投入。これ以降の上級車種はこのハイドラクティブが標準となった。
 
昔のシトロエンはモータースポーツと縁がなかったと思われがちだが、実際はDSがモンテカルロラリーに優勝するなどの成績を残している。しかし活動が活発化したのは、むしろ1990年代になってからだった。
 
まず1990年、プジョーのあとを受ける形でクロスカントリーラリーに挑戦。パリ・ダカール・ラリーでは6回の挑戦で4勝を記録し、戦前の黄色い巡洋艦隊を彷彿とさせるパリ〜モスクワ〜北京でも優勝。クロスカントリーラリー・ワールドカップではマニュファクチャラー(製造者)部門とドライバー部門でそれぞれ5度のタイトルを獲得している。
 
続いて1998 年からはWRC(世界ラリー選手権)の一部イベントに参戦を開始。2003年からフル参戦を始めた初年度にしてマニュファクチャラーのタイトルを取り、その後2012年までにマニュファクチャラー部門タイトル8回、ドライバーおよびコ・ドライバー部門タイトルを9回獲得している。ちなみに後者はセバスチャン・ローブとダニエル・エレナによるもので、両者は史上最強コンビと称された。
 
グループPSAに入ってからのシトロエンは、車名についてはBXやXMのように、Xを入れることをならわしとしていた。それはエグザンティアやクサラなどにも引き継がれたものの、2000年発表のC5からは、C+数字という新しい車名に切り替えていく。
 
ただしこの時期のシトロエンは、持ち前の独創性・革新性がやや失われつつあった。数を売ろうとする中で万人向けの車づくりに傾きかけていた。しかしその方向性は成功しなかったことから、彼らは再び、個性にあふれた車種の開発に力を注ぐことになる。
 
そのためにシトロエンはまずコンセプトカーを開発し、市場の反響を確かめたうえで市販化するというプロセスを取る。2001年発表のC3は、3年前に公開されたC3リュミエールを発展させたものだし、2005 年にデビューしたC6は6年前のC6リナージュの市販型といえた。2013年にお披露目されたコンセプトカーのカクタスは、翌年量産モデルのC4カクタスに進化した。
 
このC4カクタスで導入したデザインは、その後C3をはじめ、シトロエン各車のベースとなっており、近年はC3 エアクロスやC5 エアクロスといったクロスオーバースタイルに発展している。

文:森口将之 Words:Masayuki MORIGUCHI

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