ある時代を彩った、どこか個性的なコンパクトハッチ

1974年、ミシュランが保有していたシトロエンの株式がプジョーに売却された。ミシュラン時代の約40年間に、すばらしい革新的なモデル群が世に出て、それらは今日のシトロエン・ブランドにとって重要なヘリテージとなっている。ただミシュラン時代は、個性が強く凝った技術の採用が目立った。新型車の投入も少なく、経営的には順風満帆ではなかった。

実はミシュランは、1968年にイタリアのフィアットに49%の株を売却していた。その後フィアットがシトロエンへの支配を強めようとしたとき、ミシュランはそれを拒み、結局1973年にフィアットはあきらめてシトロエンから身を引いた。ところが石油危機がその直後に起きると、ミシュラン自体の経営が苦しくなり、負債を抱えていたシトロエンを維持できなくなった。そこで、新たな受け入れ手として国内のプジョーが名乗りをあげた。フランス産業界が、フランスの財産であるシトロエンを、他国に引き渡すことなく、守ったという見方ができる。
 
今ではプジョーのほうが販売台数が多いが、当時はシトロエンのほうが規模が大きかった。プジョーがシトロエンを傘下に入れたことで、スケールメリットが追求できる。ただし両者ともに基本的には量産大衆車ブランドで、元来は真っ向からぶつかるライバルのため、その住み分けはふつうなら難しい。

ところが、シトロエンは個性的で革新的、いっぽうプジョーはオーソドックスということで、違いが出しやすかった。ちなみにグループ内では、たてまえ上どちらも対等の扱いであり、PSA(プジョーSA、プジョー株式会社の意)という持ち株会社の下に、オートモビル・プジョーとオートモビル・シトロエンが並立することになった。
 
PSA時代になって、最初に出たニューモデルがLNであり、傘下に入って2年目の1976年に発表された。これはプジョー104クーペのフロントマスクなど細部を変えただけの車で、当時のシトロエニストをおおいに失望させた。ただLNは、旧態化した2CV系モデルに代わるべき小型車が開発できないでいたシトロエンの状況を改善する目的で、即席的にあつらえられたモデルだった。プジョーは、シトロエンらしさを軽視するつもりはなく、今後のモデルは違うものになるとアナウンスしていた。

はたしてその後1978年に発表されたヴィザは、依然として104と共通性が高かったものの、外観デザインはかなりシトロエンらしさの強いものになっていた。搭載するエンジンはLNでも2CV系の空冷水平対向2気筒だったが、LNでは602ccそのままだったのに対し、ヴィザはそれが独自に652ccに拡大され、高性能車で使われるニカシルシリンダーのほか3ベアリングなどを採用し、静粛性も向上させていた。ただし4気筒はプジョーの横置き直列エンジンが使われた。



ヴィザの特徴的なところは、まずデザイン面であり、内外装にシトロエンらしさが感じられた。さらにフロントマスクには、前衛的な試みも見られた。1970年代は樹脂製バンパーが採用され始めた時代だったが、ヴィザはいち早くそれを採用したうえに、一体成型でグリルまでを樹脂製にするという大胆な手法をとった。
 
ヴィザのもうひとつの見どころは、スポーツモデルを積極展開したことである。GTやGTiなどといったモデルのほかに、シトロエンが得意とするラリー用の専用モデルもつくられた。
 
ヴィザになるべきモデルは、世に出るまでに紆余曲折があった。生産化までの間に、フィアットとの技術共用が画策されたり、シトロエン独自の技術で開発が進んだこともあった。そのシトロエン独自の開発と思われるモデルが、ルーマニアで生産化につながった。これはオルトシトと呼ばれ、当時共産圏にあったルーマニアにシトロエンが合弁事業で進出し、生産されたモデルだった。ピュア・シトロエンとしての最後の息吹が感じられ、ヴィザ以上にシトロエン的なものを感じさせる外観デザインだけでなく、エンジンは空冷水平対向の2気筒と4気筒が搭載され、足回りも金属バネながら、シトロエン流の優れた設計であった。

文:武田隆 Words:Takashi TAKEDA

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