1953年に祖父がゴール出来なかったモンテカルロ・ラリーに挑戦!│そこで得た経験とは?

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1953年、ウィリアム・パワーはモンテカルロ・ラリーを制すことができなかった。しかし、2017年に孫であるデイヴィッド・パワーが同じ道を小さな1台で走ることに挑戦した。

ラウノ・アルトーネンがモンテカルロ・ヒストリケに招待されている時、だいたいの関心は彼にいくものだ。そのため、他の出場者にとって必要なのは名声などではなく、戦いへ挑むのに相応しい車だけ。しかし、ポルシェ911やアルピーヌ、ミニだけが合っているとは思わないでほしい。もちろん、当時参戦していた車は適任ではあるが、他にもバラエティに富んだ車がいたのだ。

例えば、1953年にウィリアム・パワーとクリル・ピルグリムがステアリングを握ったカーナンバー#188のオースチン Sheerlineもある。"おそらく、世界で最もラリーに向いていない車だ。フィアット127を除けば"と言うのは、ウィリアムの孫であるデイヴィッド・パワーだ。なぜフィアット127を挙げたのであろうか?それは、2017年にデイヴィッドがラリーを共にした1台であるからだ。カーナンバーはオースチンと同じく#188が付けられた。



"家族の中では何も知られていないんだ。このラリープレートだけが残っている。写真ですら1枚も出てこないんだよ。祖父はパブも経営していたのだけれど、みんなが言うにはそこで間違った時間の使い方をしていたらしい。誰かが’モンテカルロ・ラリーに出たいとは思わない?’なんてことを彼に聞いたみたいでね。これまでにラリーに出たことに関する資料は1953年2月に発刊された『モーター・スポーツ』だけが残っている。そこには、『パワーとピルグリムが4時間遅れでパリに到着』と書いてあったはず。フィニッシュすることがゴールだったけれど、4時間遅れ以外に彼に関してアナウンスされることは何もなかったのさ"

多くの人と同様に、デイヴィッドはモンテカルロ・ヒストリケに出ることすら空想的だと思っていた。"レースは幾度となくしてきたけれど、ヒストリックカーのモータースポーツと言ったらグッドウッドしか思いつかない程度だった。そこで、モンテカルロ・ヒストリケを調べはじめてみたらミリオン級のフェラーリばかりではないと知ったんだ。

デイヴィッドは、パワーラックスという特許承認も得ている商品を造り上げた人物でもあり、"破壊することを許せないものは最初から完成させないんだ"と話す。この言葉は、『フィアット127、903ccでパワーは45hp。2014年にはイベントにも参加』とこの車を売りに出す広告を出したアート・アトワルが最初に発した言葉である。

2016年2月にアトワルからこの車を購入し、4月にエントリー、間もなくスタートするという12月に承認された。スターティングポイントが重要になるのだが、デイヴィッドはグラスゴーを選んだ。グラスゴーこそが、祖父が1953年にスタートを切った地であるからだ。

スタートする前には充分な準備が必要になる。"パーツを手に入れるのは難しくないから、自分の手で整備を施したよ。少し錆びているようなところもあったから、リスプレーして、エンジンもリビルトして、ギアボックスもバラバラにして、ベアリングも新しくして... クラッチを新しく買うとしても40ポンドしかしないんだから、わざわざコンディションは見ないだろう。とにかくすべてを新しくしたんだ"

Words: Glen Waddington 訳:オクタン日本版編集部

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