猛スピードで人生を駆け抜けていった女性ドライバー│レースを始めたきっかけとは?

Porsche Newsroom



1955年 8月16日、フランス南部のリナ=モントリー・サーキットで女性ドライバーを対象としたスピードレースが開催され、世界記録が打ち破られるのを誰しもが待ち望んでいた。そこはアスカリの父が1925年に命を落とした場所であったが、アニーを怖気づかせるものは何もなかった。彼女が求めていたものはただ一つ。1934年に英国人女性レーサーグウェンダ・ホークスが創った、215km/hの記録を破ることだけ。当時のレースカーの中では最高であったポルシェ550スパイダーが、アニー専用仕様で製造された。レーシング・ブルーのボディに特別なタイヤが履かせられ、このコンペティションのためだけにカスタムされた1台であったのだ。はじめてのレースから3年半が経ったこの日、アニー専用の550スパイダーと共にラップ平均速度230.5km/hを記録した。

しかし、いつかに起きたデジャヴのように、彼女はこの日も最終的には病院で一日を終えていた。世界記録を更新したことが、さらに彼女の闘争心に火を点け、ついでにベストタイムも出そうと思いついたのだ。200km/hを超えたところで、タイヤが破裂し壁に激突することとなる。ツッフェンハウゼンには彼女から、"ただ脚を骨折しただけ。首じゃないわ。元気にしている。敬具。アニーより"という電報が届いていた。

記録更新をしてからというもの、幸運はアニーに背を向けてしまったようだった。1956年1月に夫を車の事故で亡くし、それを追うように同年の6月に開催された12時間耐久レースでアニー自身が命を落とした。夫を失ってからも彼女は走ることをやめることは決してなく、この日も自分で準備を行っていた。アニーのスパイダーはレース前日にポルシェによる修理が終わったばかりであった。アニーは車をピックアップし、サーキットまでの500キロを夜通しドライブしたそうだ。長距離のドライブを終えサーキットへ着くや否や、1周目を走らせて欲しいと頼みこんだという。そして、17周目に左前輪がトラックから外れ横転。この時は首を骨折し、30代で幕を閉じることになってしまった。

アニーの事故後もレースは11時間続行された。他のレーサー達は、横転したスパイダーを横にしながら駆け抜けていた。彼女のリスキーなドライビングスタイルとその事故死を受け、1971年までフランス西部自動車クラブ(ル・マンに拠点を置く)は女性レーサーの競争を禁止とした。

猛スピードで駆け抜け、幕を閉じたアニーの人生。もし、彼女が人生について文を書くとしたらこうはじまるだろう。"私の人生は骨折したことではじまった..."

Words: Porsche newsroom 訳:オクタン日本版編集部

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